『昭和史裁判』をおもしろく読んだ

 半藤一利加藤陽子『昭和史裁判』(文春文庫)をおもしろく読んだ。半藤一利は『文藝春秋』元編集長、文藝春秋社専務取締役を歴任し、『日本の一番長い夏』や『ノモンハンの夏』『昭和史』などの著者で、歴史探偵を自称している。加藤陽子は日本近代史学者、『満州事変から日中戦争へ』『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』などの著者で、東京大学大学院教授。
 昭和史に関するもっとも面白そうな対談者の人選だ。今回、軍人を除いて政治家だけを選び、半藤が検察官、加藤が弁護人という役割で太平洋戦争に至る政治過程を検証している。取り上げられた被告は、広田弘毅近衛文麿松岡洋右木戸幸一昭和天皇の5人。ただ昭和天皇は検察官と弁護人が役割を交替している。
 それぞれの項目の最初に関連年表が載っている。広田はA級戦犯たちとともに昭和23年12月23日に絞首刑が執行された。その日は当時の皇太子、現在の天皇の誕生日で、まさに今祝日になっている。アメリカ軍は戦犯の処刑執行日に将来の天皇誕生日を選んだのだ。
 広田は城山三郎によって、『落日燃ゆ』という伝記に書かれ、ベストセラーとなってテレビドラマ化もされた。そのため現在結構人気がある。ただ政治学者の猪木正道が、広田のことを「あきれるほど無定見、無責任」と言っているし、昭和天皇も広田に厳しかったという。
 半藤と加藤がその広田の行動や政策について厳しく評価する。結局、『落日燃ゆ』のよき広田像は割引されてしまう。まあ、私の知っている広田某も禄な人間ではなかったことを思い出した。
 近衛、松岡、木戸、みな厳しい評価に曝される。とくに木戸に対する評価が徹底的に低かった。最後に昭和天皇を語ったあと、半藤が言う。

それにつけても、最後にもう一言、昭和天皇のまわりには不忠の臣ばかりがいましたなあ。

 戦前の昭和史、お粗末な指導者ばかりだったことがよく分かった。それにしても、彼らこそ自他ともに認める当時の日本の最優秀な政治家たちではなかったか。それがこんな低評価では、本当に優秀な政治家はどこにいるのだろう。
 戦争への道を新聞が煽り、それに煽られた世論が政府を縛ってのっぴきならないところへ進んでいった。指導者だけに責任があるのではなく、新聞にも大きな責任があるのだった。それは過去の話ではないだろう。