司馬遼太郎『この国のかたち 四』を読む

 司馬遼太郎『この国のかたち 四』(文春文庫)を読む。1992年から1993年の2年間『文藝春秋』に連載した巻頭言をまとめたもの。単行本は26年前に出たものだが内容は古びていない。

 この巻頭言は時事的なものではなく、日本の歴史、文化を毎回原稿用紙10枚ほどにまとめている。短いなかにきわめて要領よくダイジェストしてみせてくれる。

 本書では特に「統帥権」について4回にわたって書いている。月刊誌での連載だから4カ月にわたっていることになる。司馬がきわめて力を入れていることが分かる。

 

 統帥とは、要するにさきにのべたように、「軍隊を統(す)べ率いること」である。英語では統帥とは指揮(コマンド)というにすぎず、統帥権も、最高の指揮権(supreme command)というだけのことである。

 英国やアメリカでも当然ながら統帥権国家元首に属してきた。むろん統帥権文民で統御される。

 

 軍は強力な殺傷力を保持しているという意味で、猛獣にたとえてもいい。戦前、その統帥機能を、おなじ猛獣の軍人が掌握した。しかも神聖権として、他から嘴(くちばし)がはいれば、「統帥干犯(かんぱん)」として恫喝した。

 

 西郷隆盛が反乱した西南戦争がおわったあと、これに懲りた山縣有朋軍人勅諭を作った。冒頭に、「我国の軍隊は代々天皇の統率し給ふところにそある」とある。統帥権の歴史的根拠をのべたのだ。この一文が、のちに美濃部達吉や佐々木惣一の政府公認の憲法解釈学に掣肘を加えた。しかし、明治時代には『軍人勅諭』や憲法による日本陸軍のあり方や機能は妥当に作動した。これは元老の山縣有朋伊藤博文が顕在だったからである。

 統帥権には、「帷幄(いあく)上奏」という特権が統帥機関(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)にあたえられていた。帷幄上奏とは、統帥に関する作戦上の秘密は、陸軍の場合、参謀総長が、首相などを経ず、じかに天皇に上奏するということ。本来は軍事作戦に関することだった。それが、昭和になると、平時の軍備についても適用されるという拡大解釈がなされるようになった。

 浜口雄幸首相が昭和5年ロンドン海軍軍縮条約に調印した。それを右翼や野党の政友会が「統帥権干犯」として糾弾した。そのため右翼のテロに遭って翌年死去した。このころから、統帥権は、無限・無謬・神聖という神韻を帯び始める。他の三権(立法・行政・司法)から独立するばかりか、超越すると考えられはじめた。さらには、三権からの容喙(ようかい)も許さなかった。そして国際紛争や戦争を起こすことについても他の国政機関に対し、帷幄上奏権があるために秘密にそれを起こすことができた。

 しかも統帥機能の長(たとえば参謀長)は、首相ならびに国務大臣と同様、天皇に対し輔弼(ほひつ)の責任を持つ。天皇は、憲法上、無答責である。

 である以上、統帥機関は、なにをやろうと自由になった。満洲事変、日中事変、ノモンハン事変など、すべて統帥権の発動であり、首相以下はあとで知っておどろくだけの滑稽な存在になった。それらの戦争状態を止めることすらできなくなった。“干犯”になるからである。

 以後、敗戦まで日本は、“統帥権国家”になった。こんなばかな時代は、ながい日本史にはない。