加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』の面白さ!

 加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社)が売れているらしい。読んでみたら売れている理由が分かった。とにかく面白いのだ。これは加藤が栄光学園の中学1年から高校2年までの歴史研究部のメンバー20人ほどを前に5日間にわたって講義したものだという。講演なのでやさしく、それでいて分かりやすく最高の講義だったと思う。
 内容は、「序章 日本近現代史を考える」「1章 日清戦争」「2章 日露戦争」「3章 第一次世界大戦」「4章 満州事変と日中戦争」「5章 太平洋戦争」からなっている。当時の状況を分析し、別の選択の可能性を検討し、どうして日本がこのような歴史を歩んだのか、実に説得力に富んだ日本近現代史を語ってくれる。
 本書を読むと、司馬遼太郎歴史観加藤周一の言う「英雄史観」ーー英雄が歴史を作っていくーーであることが分かる。半藤一利歴史観は長老や実力政治家が密室で政治を作っていくという印象があるが、それも正しくないことが分かるのだ。加藤陽子は当時の世界情勢を語り、歴史がまた必然の歩みでもなく、ある時は優れた政治家が決断すれば別の選択もありえたことを示唆する。
 国際連盟が問題にしていた満州について、

 当時のヨーロッパでだんだん明らかになってきた、イギリス・フランスとドイツの対立、これは、アメリカ発の世界恐慌の結果、ドイツ政府がこれまでイギリスやフランス政府に支払ってきた第一次世界大戦の賠償金支払いが遅れたことにより生じた対立ですが、イギリスとしてはこちらに対処したい。ですから、関東軍や日本がよっぽどひどいことをしなければ、イギリスは東アジアの秩序は日本に依拠して確保したかった。

 そして国際連盟によってリットン調査団満州に派遣される。「調査団のメンバーはすべて大国から選ばれ、またなんらかのかたちで、植民地に対する軍事や行政経験のある人物や、国際紛争の専門家が選ばれていることがわかります。」その報告書は、

1.日本人に十分な割合を配慮した外国人顧問を配置すること、2.対日ボイコットを永久に停止すること、3.日本人の居住権・土地貸借権を全満州に拡張することを書いて、日本の経済的権益が擁護されるよう配慮していた。つまり、中国は日本の経済上の利益を満足させるべきだ、と述べられていたのです。

 当時、政党が戦争反対の声を挙げられなかった理由も説明される。
 連盟脱退を宣言して総会の議場から退場した松岡洋右は、実はその前に内田外相に対して、「そろそろ強硬姿勢をとるのをやめないと、イギリスなどが日本をなんとか連盟に留まらせるように頑張っている妥協策もうまくいかないですよ、どこで妥協を見いだすか、よく自覚されたほうがよいですよ、と書いた電報が残っていますので」と、その電報が紹介される。

 ここで松岡が妥協しろといっているのは、イギリス側が日本に対して提議した二つの融和方針で、1.連盟の和協委員会の審議に、アメリカやソ連など、現時点での連盟非加盟国も入れて、彼らにも意見を聞いてみよう、2.日中二国ももちろん当事国として和協委員会に入ってください、というものでした。これは32年12月、イギリス外相のサイモンによって提案されました。しかし、内田は断乎反対します。
 アメリカやソ連が加わったら、よけい日本に厳しい結論が出てしまうと内田は考えたのでしょう。しかし、これはまちがいで、当時のアメリカは不況のまっただなかにあって、他国に目を向ける余裕がなかった。さらに、32年12月、民主党のフランクリン・D・ローズヴェルトが大統領に当選したことで、これまで日本に対して厳しいことをいっていたスティムソン国務長官がハル国務長官に交代する事情もあり、アメリカは国内問題に集中する、つまり非常に孤立的な態度をとる。世界のことなんて関係ない、という態度をとる時代がしばらく続きます。ソ連もまた、31年12月に、日本に対して不可侵条約締結を提議してきたほどでした。農業の集団化に際して、餓死者も出るほどの国内改革を迫られていたのが当時のソ連でしたので、いまだ日本と戦争する準備などはなかったわけです。

 ところが日本の軍隊が中国の熱河地方に侵攻してしまう。これは連盟が努力している最中に新しい戦争を始めたことになる。連盟規約で、通商上・金融上の経済制裁を受けることになり、また除名という不名誉な事態も避けられなくなる。その結果、日本は国際連盟から脱退することになった。
 加藤陽子はていねいに歴史を語ってくれる。日本は連盟を脱退する道をとらないことも可能だった。太平洋戦争も避けることができたかもしれない。歴史は英雄たちがつくっていくのではないことがよく分かる。
 加藤陽子を読んでいると、司馬遼太郎半藤一利がまるで山頂を結んで地図を描いているように思える。加藤は平野や河川、町や村落、田畑を加えて地図を描いている。
 彼女の『満州事変から日中戦争へ』(岩波新書)を読むのが楽しみになってきた。

それでも、日本人は「戦争」を選んだ

それでも、日本人は「戦争」を選んだ