村井康彦『茶の文化史』(岩波新書)と角山栄『茶の世界史』(中公新書)を読んだ。『文化史』の初版が1979年、『世界史』が1980年だった。当時どちらも発行後すぐに読んでいるので、35年ぶりくらいの再読だった。
『文化史』は主として日本の事例を扱っていて、茶の中国からの伝来から千利休までの歴史を綴っている。最初に世界の茶の呼称が紹介される。大きく分けるとchaとteの二つある。チャとテだが、それぞれ広東語と福建語が元になり、chaは陸路を北へ北京、朝鮮、日本、モンゴル、西へはチベット、ベンガル、ヒンディーから中近東、東欧圏にまで及んでいる。teは福建省のアモイからオランダに伝わり、ヨーロッパに広がった。ソ連ではチャイ、イギリスでティー、フランスでテ、スペインでテーとある。
茶の製法と飲み方も、現在一般的な煎茶のほかに、団茶がある。茶葉を蒸して搗き細かにして型に入れて固形にする。飲むときには必要量を粉末にした。日本でも高知県の山間部で「碁石茶」というのが残っている。
茶の湯の成立も、最初は薬用としての利用であり、一方喫茶における儀礼化もあった。そのうち茶の銘柄を当てる茶寄合とか、喫茶儀礼が普及する。建物の変化や茶道具の発達、唐物の重視から倭物への転換、高麗物の登場など。利休によって茶の湯が大成される。
角山栄『茶の世界史』は世界の茶の文化を扱っている。副題が「緑茶の文化と紅茶の文化」とあり、中国で生まれた茶がアジアでは緑茶文化として広がり、一方ヨーロッパでは紅茶として普及していった。その理由が説明される。
ヨーロッパへ茶を伝えたのはオランダだったが、最も普及したのはイギリスでだった。イギリスも最初は緑茶を飲んでいた。イギリス以外のフランスやイタリアは茶でなくてコーヒーが普及した。
明治維新後、日本からの輸出の主なものは生糸と茶だった。しかし緑茶の輸出は伸び悩み、紅茶の生産を試みるが品質の良いものができなかった。ただアメリカでは緑茶の消費が多く、日本からの輸出が次第に中国を抑えていった。しかし、それもインド・セイロンからの紅茶の攻勢に敗れ衰退していった。
ポルトガルやイギリスが、ブラジルや西インド諸島で砂糖を生産するにあたり、アフリカから黒人を奴隷として大量に連れてきたのだった。それはアメリカが綿花栽培で黒人奴隷を利用したよりも前のことだった。
イギリスが茶を中国から輸入するにあたって、片貿易のため大量の銀の流出に悩み、その対策として中国にアヘンを輸出し、それをめぐってアヘン戦争が勃発した。戦争を制したイギリスはやがて世界経済の覇者として世界に君臨してゆく。
- 作者: 村井康彦
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1979/06/20
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茶の世界史―緑茶の文化と紅茶の社会 (中公新書 (596))
- 作者: 角山栄
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
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