加藤陽子『とめられなかった戦争』を読む

 加藤陽子『とめられなかった戦争』(文春文庫)を読む。加藤は 以前、『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』を読んで大変感動した記憶があり、このブログにも紹介した。
 本書は、2011年にNHK教育テレビで4回にわたって放送された内容を活字にしたものだ。テレビ放送だからきわめてやさしく、また大づかみに書いている。なぜ日本が戦争に突き進んでしまったかが、よく分かる好著だ。
 1章から4章まで、時間をさかのぼって書いている。1章が「敗戦への道 1944年」、2章が「日米開戦 決断と記憶 1941年」、3章が「日中戦争 長期化の誤算 1937年」、4章が「満州事変 暴走の原点 1933年」という構成になっている。
 加藤は1944年のマリアナ沖海戦・サイパン失陥の時が、日本が戦争を終わらせるべき時だったと書く。

……私は、1945年8月の敗戦以前の時点において、戦争を終結させなければならないと日本側が判断を下すべき機会があったとすれば、敗戦のほぼ1年前、サイパン失陥の時点だった。このときに戦争は終わらせるべきだったと考えています。この機会を逸したことで、日本はより悲惨な戦いを強いられ、敗北を重ね、被害を一挙に増大させていくことになったからです。

 そして加藤はサイパン失陥がどのような意味をもち、その後の戦争の様相をどのように変えていくことになったのか分析する。サイパン失陥以後、亡くなった日本人市民は、東京大空襲で10万人、原爆で広島14万人・長崎7万人、それに爆撃で亡くなった全国の人々、およそ50万人の民間人がサイパン以後に亡くなっている。ソ連参戦から敗戦の前後に、満州で多くの日本人市民が犠牲になっている。さらに「日中戦争・太平洋戦争での戦死者310万人の大半は、サイパン以後の1年余りの期間に戦死している」と。
 なぜ日本は日米開戦を決断したのか。それが第2章のテーマになっている。
 3章は日中戦争の開始から太平洋戦争の開始までを扱っている。上海事変とか支那事変と呼んで、なぜ日中戦争と言わなかったのか。両国とも宣戦布告しなかったからだ。宣戦布告しなかった理由が述べられる。それは、宣戦布告をして国際法上の戦争状態に入ると、アメリカが中立法を発動する。その結果、中国はアメリカから兵器・物資を輸入できなくなる。日本は金融取引制限を恐れた。またアメリカからの石油も輸入できなくなる。そして日本は短期決戦で中国が降伏すると予測した。しかし中国は持久戦を選んだ。
 4章は日中戦争の原点として満州事変を分析する。
 本書はテレビ放送をもとに活字化されたものなので、文章もやさしいし、総ページ数も180ぺージ程度と少なく、さらに活字も大きめのものを採用している。ほとんど短時間で読むことができる。先のアジア・太平洋戦争の歴史の簡単なレジュメとして読むことができるだろう。大項目主義の事典の1項目としても読めると思う。『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』と併せて読むことをお薦めしたい。