メニューヒン、天才児の行方

 吉田秀和「改めて、また満たされる喜び−ー新・音楽展望1994−1996」(朝日新聞社)を読んだ。「音楽展望」のタイトルで朝日新聞に連載されたもの。吉田秀和を読むのはいつでも教えられることが多く楽しい。それは音楽に限らない。谷崎潤一郎の口述筆記をした伊吹和子「われよりほかに」(講談社)に対する書評もすばらしい。
「ヴァイオリンをひく少女」の項では天才児の行方について考えている。

 それにしても、天才児とか神童とかが私たちを驚かせ、感嘆させるのは、その時点での彼らの、とても常識では考えられない技術的完成度とか表現力に打たれるからだが、同時に、私たちは、この年でこれほど高いのなら、このあとどこまでのびるのか? もしかしたら、人類のかつて到達したことのないところまでゆくのがみられるのではないか? その時には、どんなものがきけるのか? といった将来への期待、未知のものへの漠とした憧れをかきたてられるからでもあろう。
 だが、はたして、そういうものなのだろうか。あのメニューヒンは、今だってすぐれたヴァイオリニストであり、特にほとんど宗教的なアウラさえ持った、清らかな精神性の放射という点で、稀有の人ではあるけれど、純粋にヴァイオリン演奏の点でいうと、普通の職業人の一人にすぎないといっても間違いではあるまい。

 以前、メニューヒンの演奏するメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲のCDを買った。買ってすぐ聴いて、その後二度と聴くことがなかった。なんだか聴く気になれなかったが、そういうことだったのだろうか。