『「農民画家」ミレーの真実』を読む

 井出洋一郎『「農民画家」ミレーの真実』(NHK出版新書)を読む。美術に関して印象派以前に興味を持っていなかった。バルビゾン派のミレーについては、「種まく人」とか「晩鐘」とかあまりに有名で、図版などでは見ていても実物を見たことがなかった。ミレー展とかあっても興味が持てなかったし。本書で初めてミレーについてきちんと知ったのだった。
 著者は、「種まく人」を収蔵している山梨県立美術館で学芸員としてミレーを担当し、現在は府中市美術館館長をしている。ミレー番学芸員としてミレーを徹底的に研究したらしい。
 まずミレーは「農民画」家であって「農民画家」ではないという。農家出身だが、画業に専念していて、農業をしながら絵を描いていたのではない。農民を描いていたのだ。むしろ農民以外を描いた作品の方が多かった。
 有名な「種まく人」という作品は5点あった。とくにボストン美術館所蔵の作品と山梨県立美術館所蔵の作品が世に知られている。井出は同時期に描かれたこの2点のどちらがサロン展に出品されたものだろうかと考察する。ボストン美術館学芸員は自分の館のミレーだと主張し、井出は山梨県の作品だと論証する。ミレーは自信のある方をサロン展に出品したはずだ。
 井出はミレーの人生をていねいにたどっていく。画家はフランスのノルマンディー地方の格式ある農家の長男として生まれた。少年のころから画才を認められ、画家への道を歩む。最初の妻は結婚2年余で亡くなってしまう。2番目の妻は家政婦をしていた娘で、ミレーの実家の格式に合わないとて長い間実家には紹介していない。
 2月革命のあとのサロン展に出した「箕をふるう人」が好評を博し、折しも猛威を振るったコレラ禍を逃れてバルビゾン地方へ移住する。バルビゾンでは農村や農民を描いていく。ここで「落ち穂拾い」や「晩鐘」が描かれる。またパステルによる風景画に開眼する。著者はミレーが巷間伝えられる清貧な画家ではなく、世俗的にも成功を収めたことを指摘する。
 ミレーを高く評価したのは、フランスではなくアメリカであった。現在もミレーの作品が多く収蔵されているのはアメリカなのだ。またミレーは日本でも絶大な評価を受けている。日本での評価はアメリカの影響によるものだった。
 井出はミレーの現代性を主張する。最晩年の作品「縫い物のお稽古」の窓外の風景には、原色の粗いタッチが見られ、印象主義の先駆をなしているという。さらにゴッホのサン・レミ期の麦畑を連想させる輝きにも満ちていると。
 ミレーという画家について具体的なイメージを持つことができた。単なる農民画家ではないことがよく分かった。井出は「巨匠」という言葉も使っていたが、むしろマイナーポエットに分類されるのではないか。しかし、こうして屹立する大家の周辺の画家をていねいに埋めていくことによって、美術が山脈としてだけではない豊かで滑らかな平野の広がりとして理解できていくのだろう。そういう意味で有意義な読書だった。