山本弘の作品解説(41)「せまい家」


 山本弘「せまい家」油彩、F10号(53.0cm×45.5cm)
 1969年制作。当時、山本弘39歳、妻と二人で「せまい家」に住んでいた。長野県飯田市の郊外上郷村で、蜂谷さんという大家の離れを借りていたが、本当に6畳一間だけ、形ばかりの小さな台所とトイレがあるアパートだった。その一間で絵を描いていて、食事のときは小さなテーブルを出し、夜になると絵の道具もテーブルも片付けて蒲団を敷いて寝ていた。まさに狭い家だった。
 1969年はそれまでの具象的な傾向から徐々に抽象的な作風に移る頃。この絵も白く描かれた家の前で、男が途方に暮れているように見える。右下にこの頃のサインである「Hirossi」の文字が入れられている。白の多用は生涯変わらなかった。ぼくは白が巧いんだとうそぶいていた。その通りだった。
 もっとも題名は作品の動機にすぎなくて、そこから山本が造形的に展開していったのがこの作品だろう。極論すれば題名など見なくても良いのかもしれない。事実題名不詳という作品もいくつも残されており、それで作品の価値が変わるということはありえない。
 1969年の制作ということは、1972年の飯田市内の飯田美術画廊での個展で発表したのだろう。でも飯田市では日展か県展に入選していなければ絵は売れなかった。だからこの作品も売れずに遺族のもとに残されて、山本が亡くなって15年後くらいに東京京橋の東邦画廊の遺作展で並べられた。東京では飯田市と異なり高い評価を得た。