サルトル『アルトナの幽閉者』を見る

 サルトル作『アルトナの幽閉者』を見る。演出:上村聡史、翻訳:岩切正一郎。新国立劇場小ホール公演。
 公演のちらしから、

(……)第二次世界大戦後のドイツを舞台に、戦時中の心の傷から13年も、自宅に引きこもったままの主人公フランツを軸に、「戦争」と「責任」、さらには出口の見えない状況に「幽閉」された人々を描いています。作品発表当時、アルジェリア戦争フランス軍などがアルジェリア人に対して行った残虐行為を痛烈に批判するサルトルの思いが込められた問題作です。

 フランツは戦場で部下が捕虜を虐待するのを止めなかった。そのことによる心の傷から半ば狂気に陥り、自分の部屋に13年間も閉じこもっている。そのことはドイツの巨大な造船会社の経営者である父親と妹、そして弟しか知らない。妹だけが部屋に入ることを許され、食事を運ぶなど兄の面倒を見ている。父親がガンで半年の命と宣告されたとき家族が呼ばれて、弟が父親の会社を継ぐよう命令される。弟の妻が死んだとされている兄の存在を知り、閉じこもっている部屋に入り、兄の狂気の原因を知っていく。
 サルトルの戯曲の構成は緻密で、言葉が状況を追い詰めていく。見事な展開で揺るぎがない。フランツの経験した捕虜虐待が明らかになる。直接自分が手を下さなかったとはいえ、それを止めなかったことで責任は免れない。「責任」の問題が提起される。
 そして今この芝居が上演される意味も分かる。世の中がきな臭くなっていることと関係があるに違いない。戦争の悲惨さを描いているこの芝居は現在の状況を考えるためにとても参考になるだろう。先日見たエドワード・ボンド『戦争戯曲集・三部作』と併せて、強く考えさせられる。
 もう一つ、戦場での虐待の問題も提起されている。ただ、この戦場での捕虜虐待については、つい最近保阪正康の「戦場体験者の記憶と記録 7」を読んだばかりだった(『ちくま』2014年3月号)。1908年生まれ、石井部隊の162支隊長、鵜野某軍医少佐が保阪に語った中国での体験は、あまりにも残虐でここに紹介することが憚られる。フランツの語る経験が生ぬるいものにさえ思われてくる。
 ともあれ、3時間半近い芝居は、途中緊張感を失うことなく展開し、見終わったときに、戦争、責任、虐殺等々について自分で考えることを迫ってくる。
 この戯曲を初めて読んだのはもう40年も前だった。当時何を読んだのだろう。もう一度読み直してみよう。