『小林秀雄の哲学』改訂版とは何か

 昨年9月に初版が発行された高橋昌一郎小林秀雄の哲学』(朝日新書)に、もう改訂版が発行されていた。なぜだろうと思ったら、朝日新聞出版のPR誌『一冊の本』2月号にそれに関する記事がごく小さく掲載されていた。最後のページ、後書きなどの横の狭いスペースに、写真植字の文字の大きさで9級くらいのごく小さな字で何やら書かれている。9級というのは天地2mmちょっとという大きさ(小ささ)だ。

小林秀雄の哲学』(朝日新書)の改訂版を刊行しました。初版をお買い求めの方は交換いたします。


 2013年9月に刊行した高橋昌一郎著『小林秀雄の哲学』(朝日新書)に、小林秀雄氏の著作の転載に関してその措置および手続きに不備があることが判明しました。このため、2014年1月30日付で改訂版を刊行し、それらの不備を正します。
 小林秀雄氏の著作とは、第1章、第2章、第3章、第4章、第5章、第6章、第7章の冒頭に収録した小林氏の各著作です。また初版序章にあった「文学の雑感−質疑応答」は収録を取りやめ、本文中に引用する形に変更しました。
 初版の不備によって、小林秀雄氏の著作権継承者、ならびに読者にご迷惑をおかけしましたことをおわびいたします。
 なお、初版をお買い求めいただき、改訂版との交換をご希望される方は、弊社業務部(住所=略)まで着払いでお送りください。速やかに改訂版をお送りいたします。
              朝日新聞出版書籍編集部

 初版については、以前このブログに紹介した。
高橋昌一郎『小林秀雄の哲学』を読む(2013年11月26日)
 この本について、須藤靖が読売新聞の書評で紹介している(2013年11月10日)。それを再録すると、

 日本を代表する文芸批評家。そう聞けば必ずや高潔な人格者を想像するだろう。しかし本書を読めば、小林秀雄は稀有な才能と独善性を併せ持つ一種の人格破綻者だった事がわかる。
 大学浪人中の中原中也と暮らしていた長谷川泰子を略奪し同棲するのが東京帝大仏文科在学中。主任教授辰野隆の講義に欠席するもそれが終わる頃、講義室のドアを蹴って闖入し「おい、辰野、金貸せ!」と叫ぶ。銀座のバーの女給だった16才の坂本睦子を巡り再び中原と競う。
 明治大学講師の頃は、たびたび浅草の安待合から出勤。借金がかさめば姿をくらまして逃げる。創元社取締役時代は、会議で論争の末に編集者を殴り倒し2階の階段から落とした事もある。会議後の2次会では、居並ぶ編集者を1人ずつ名指しで批判し、文字通り泣くまで攻める。大の大人の編集者が大声で泣く事も珍しくなかったというから、パワハラそのものだ。(中略)
 小林が高潔で論理的な人格者どころか、それとは真逆な人間だった事を示す数多くの逸話には驚かされた。人間小林を冷静に見つめながらも、彼の文章の「魅力」と「哲学」を余すところなく紹介する。(後略)

 小林秀雄は近代日本文学においてカリスマ的な批評家だった。文芸批評の天皇と言ってもいいかもしれない。遺族にとっては名誉ある誇り高き祖父やら曾祖父だったに違いない。須藤の書評にあるように、高橋はそのカリスマの仮面を剥いで見せたのだ。遺族=著作権継承者の怒りは半端ではなかっただろう。しかし、正面切って否定はできなかったはずだ。それで。おそらく「著作の転載に関してその措置および手続きに不備がある」と異議を唱えたのだろう。
 たしかに各章冒頭に小林秀雄の文章が、新書で4ページくらいずつ引用されている。おそらく著作権継承者は、引用としては長過ぎるくらいのことを申し入れたのではないか。丸谷才一文章読本』にも様々な作家からの長い引用がある。しかし、そのため出版社が改訂したという話は聞いてない。高橋と丸谷の大きな違いは、高橋の場合引用した小林秀雄に対して否定的なことだった。そのことで著作権継承者が噛みついたのだろう。
 ただはっきりと著作権法違反ということではない。それで、違法ということまでは言い得ないで、「著作の転載に関してその措置および手続きに不備がある」と申し入れたのに違いない。
 小林秀雄については、いままでが過大評価だったと思う。丸谷才一吉田秀和を援用して小林批判を行っているし、丸谷の友人の鹿島茂が、雑誌『一冊の本』に「ドーダの文学史」を連載していて、最近は「小林秀雄的ドーダ」という厳しい小林秀雄批判を展開している。小林秀雄というカリスマの銅像が倒されるのも遠いことではないだろう。