成田龍一『加藤周一を記憶する』を読む

 成田龍一加藤周一を記憶する』(講談社現代新書)を読む。新書とは言え450ページもあり、大分なものだ。成田は加藤の著作を初期から晩年まで実に丁寧に跡付けてその一つ一つに簡単な評価を加えている。ほとんど全著作に及ぶほどの徹底したものだ。あまりに網羅されていて最初は少々煩わしいとまで思ってしまうくらいだ。
 それが第4章「自伝とことばと文学と」になると俄然面白くなる。自伝『羊の歌』、『続 羊の歌』、『言葉と戦車』などをていねいに読み解いていく。その第4節が「『日本文学史』を読む」と題され、実に60ページを充てて分析している。加藤の代表作である『日本文学史序説』のダイジェスト版のような印象だ。すばらしい仕事だと思う。もちろん加藤の著作のすばらしさだが、それは大著であり、簡単に読めるというものではない。それを成田がたった60ページで読み解いてくれる。見事なものだ。
 第5章は新聞に連載した晩年の時評を紹介している。朝日新聞に30年にわたって連載した「山中人間話」と「夕陽妄語」だが、新聞に連載した当時毎回楽しみで読んでいたが、あらためて読み直したい気になった。
 加藤周一の業績がこれ1冊で見通せるのではないだろうか。
 ただ、1か所だけ異論を述べたい。加藤は自伝『羊の歌』で、アジア・太平洋戦争の開戦の日に新橋演舞場へ行き、文楽の引越興行を見たと記している。それに対して没後加藤のノートを調査した鷲巣力が、加藤のこの日の日記には文楽に関する記述がなく、加藤が文楽を見たことに確信が持てないと、その著『「加藤周一」という生き方』(筑摩書房)に述べていることを引いて、成田は「衝撃的な指摘です」と書く。成田は加藤が事実を斟酌しているのではないかと疑問を呈している。私もこのことを海老坂武『加藤周一』(岩波新書)で読んで知った。
 しかし、加藤はこの日新橋演舞場に行っていたのだ。そのことは加藤の友人、垣花秀武が『現代思想』(2009年7月臨時増刊)「総特集加藤周一」に寄せた「加藤周一君よ」ではっきりと書いている。

 開戦の当日、灯火管制下の新橋演舞場で蝋燭の炎ゆらめく文楽を観た、そのわずか数人の観客の中に、偶然、若き日の君と僕が居合わせていたということを、はるか後年、僕たちは君の上野毛の自宅で語り合い、初めて知った。(後略)

 この号には、成田龍一小森陽一と討議した記録が掲載されているし、海老坂武も鷲巣力も執筆しているのに。
 私はそのことを2年前のこのブログに指摘しておいたのだったが。
 とまれ、本書が優れた加藤周一入門書であることに変わりはない。また加藤周一を読み直したくなった。


加藤周一は開戦の夜、文楽を見に行ったか?(2013年5月5日)