1970年代の優れた文章家は誰か

 加藤周一の代表作が「日本文学史序説」(ちくま学芸文庫)であることは誰も反対しないだろう。何の留保もなく名著と言える。「日本文化のなかで文学と造形美術の役割は重要である。各時代の日本人は、抽象的な思弁哲学のなかでよりも主として具体的な文学作品のなかで、その思想を表現してきた。」と書いて、文学史を通じて思想史を表している。

日本の文学は、少なくともある程度まで、西洋の哲学の役割を荷ない(思想の主要な表現手段)、同時に、西洋の場合とはくらべものにならないほどの大きな影響を美術にあたえ、また西洋中世の神学が芸術をその僕としたように音楽さえもみずからの僕としていたのである。日本では、文学史が、日本の思想と感受性の歴史を、かなりの程度まで、代表する。
(中略)
 中国人は普遍的な原理から出発して具体的な場合に到り、先ず全体をとって部分を包もうとする。日本人は具体的な場合に執してその特殊性を重んじ、部分から始めて全体に到ろうとする。文学が日本文化に重きをなす事情は、中国文化に重きをなす所以と同じではない。比喩的にいえば、日本では哲学の役割まで文学が代行し、中国では文学さえも哲学的となったのである。

 34年前この部分を読んだときの驚き!
 ではこれに次ぐ著書は何か? これは意見が分かれるだろうが、意外にも加藤周一の自伝である「羊の歌」「続 羊の歌」(ともに岩波新書)を挙げてもいいかもしれない。この2冊の後に「『羊の歌』その後」が書かれていたことを最近教えられた。「加藤周一セレクション5」(平凡社ライブラリー)に収録されている。
 この「『羊の歌』その後」に非常に興味深い記述があった。加藤周一は1974年にニュー・イングランドのニュー・ヘヴンを訪ねた。そのニュー・ヘヴンには素晴らしい大学(イェイル大学)があった。

イェイルには、旧知の歴史家ジョン・ホールJohn Hollがいた。彼は戦後早くプリンストンのマリウス・ジャンセン教授と共に日本の「近代化」理論を唱えた中心人物である。私を大学へ呼んでくれたのは彼で、私はしばしば彼の研究室を借りて仕事をしていた。また私は日本の近代文学の専門家、エドウィン・マックレランEdwin McClellan教授にも会うことが多かった。近代日本の散文の質を評価するのに彼と比敵する読者は、日本国の内外において、残念ながら極めて稀になった、と私は思う。
「現存の作家のなかで、誰の文章をあなたはもっとも高く評価しますか」と彼は言ったことがある。私は言下に石川淳中野重治を挙げた。「全く同感。それに井伏鱒二を加えてもいいと思う」と彼はいった。

 そうか! 石川淳中野重治井伏鱒二か。 石川淳はそうだろう。中野の名前が挙がるとは思わなかった。井伏鱒二とは! この剽窃の著者の名が文体で評価されているのか。「山椒魚」はロシアにこの原作があり、「サヨナラだけが人生だ」の訳詩集も別の訳者が、さらに「黒い雨」も原作者が分かっている。すると、評価されるのは文体だけか。

日本文学史序説〈上〉 (ちくま学芸文庫)

日本文学史序説〈上〉 (ちくま学芸文庫)

日本文学史序説〈下〉 (ちくま学芸文庫)

日本文学史序説〈下〉 (ちくま学芸文庫)

加藤周一セレクション〈5〉現代日本の文化と社会 (平凡社ライブラリー)

加藤周一セレクション〈5〉現代日本の文化と社会 (平凡社ライブラリー)

羊の歌―わが回想 (岩波新書 青版 689)

羊の歌―わが回想 (岩波新書 青版 689)

続 羊の歌―わが回想 (岩波新書 青版 690)

続 羊の歌―わが回想 (岩波新書 青版 690)