山口昌男「学問の春」を読んで思い出した

 山口昌男「学問の春」(平凡社新書)を読んだ。副題が「〈知と遊び〉の10講義」というよく分からない標題。でも「講義のまえに」では、「本書は1997年に札幌大学文化学部で行われた山口昌男「文化学総論」(ホイジンガホモ・ルーデンス』を読む)の講義をもとにした「比較文化学講義」である。全13回の講義を10回に編集し、著者自身が眼を通し、さらに補足的な聞き書きを行って加筆し、成稿とした。」とある。
 講義録だから難しくはない。しばしば脱線するし、楽しそうな講義だ。聴講してみたかった。ポトラッチ、トリックスター、読み進めているうちに思い出した。30年ほど前、熱心に山口昌男を読んだ時期があった。どうして忘れていたのだろう。「アフリカの神話的世界」「本の神話学」「道化の民俗学」「文化と両義性」、そのあたりまで読んでいた記憶がある。それで気がついた。以前書いた「周辺からは世界が見える」(2006年11月12日)は田中克彦に触発されて書いた気がしていたが、これは山口昌男の色濃い影響下に書いたものに違いなかった。中心と周縁という概念の立て方なんて山口昌男そのものじゃないか。
 どうしてこんなに長い間山口のことを忘れていたのだろう? 以前、銀座のギャラリー巷房に行くと山口さんがいて、画廊主の東崎さんが紹介してくれたことがあった。その時もなぜかきちんと挨拶することができなかった。
 もう一度「文化と両義性」を読み直してみよう。

新書479学問の春 (平凡社新書)

新書479学問の春 (平凡社新書)