加藤周一は自伝『羊の歌』(岩波新書)で日米開戦の夜、新橋演舞場へ文楽を見に行ったと書いている。それに対して鷲巣力が疑問を呈しているという。海老坂武『加藤周一』(岩波新書)から、その箇所を引く。
もう一つ、これは2011年9月、鷲巣力氏がその講演の中で(そして著作『「加藤周一」という生き方』の中で)明らかにしたことだが、昭和16年12月8日の加藤の日記に、新橋演舞場に文楽を見に行ったという記述がないとのこと。もちろん日記にその記述がないからといってその事実がないとうことにはならない。しかしその夜の新橋演舞場の情景は、先に見たように、『羊の歌』の中にかなり具体的に書かれている。2階の観客席には他にひとりの客もいなかった、平土間には4、5人の男が離れ離れに座っていた、と。古靫大夫の所作はいま見てきたかのごとく描かれている。しかもこの夜の周一青年は「一つの様式にまで昇華させた世界」に、「肉体と化した文化」に明らかに心を揺り動かされている。だとしたら家に帰ってきて、この芸術体験を記さないわけがあろうか……。
このくだりは『羊の歌』を読み返すたびに私自身感動する箇所だけに、鷲巣氏の話に私は仰天した。どう受けとめたらよいのか。文楽を見に行ったのは別の日ということか。しかし12月8日の前後にもそうした記述はないという。だとするとその箇所の全体がフィクションということか、さもなければ何らかの理由から−−たとえば忙しさから−−日記を書き損じてしまったか、そのどちらかだ。
このことに関して、加藤周一の友人垣花秀武が『現代思想』2009年7月臨時増刊「総特集 加藤周一」に「加藤周一君よ」という追悼文を寄せているが、そこに文楽を見たことが書かれている。関連する箇所を引く。
開戦の当日、灯火管制下の新橋演舞場で蝋燭の炎ゆらめく文楽を観た、そのわずか数人の観客の中に、偶然、若き日の君と僕が居合わせていたということを、はるか後年、僕たちは君の上野毛の自宅で語り合い、初めて知った。驚きであると同時に意外ではなかった。全てを語り合わずとも、思想・行動の面において、全幅の信頼を寄せられる友、それが僕にとっての加藤君だった。
文末に、執筆した日が「2009年2月」と書かれている。やはり加藤周一は開戦の当日、新橋演舞場に文楽を見に行っていたのだろう。
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