『空海と日本思想』を読む

 篠原資明『空海と日本思想』(岩波新書)を読む。毎日新聞の書評で私が尊敬する三浦雅士が高く評価していた(1月27日)。

 空海の思想の基本系(=思想の基本的なありよう)はどのように変奏されてきたか。西行慈円京極為兼、心敬、芭蕉宣長と、吟味されてゆくのは思想家でも政治家でもない。みな、歌人であり文学者である。著者は、いわゆる思想家に思想を見る以上に、歌人俳人、すなわち広義の意味での詩人に思想を見てゆく。それは現代になっても変わりはしない。西脇順三郎宗左近の詩に、空海の基本系がどのように変奏されているかを見るのである。哲学者で紹介されるのはほぼ九鬼周造ひとりだが、九鬼もまたその文芸評論家とでも言うべき側面が高く評価されているのだ。(中略)
 注目すべきは柔軟な思考と軽快な文体。哲学も変わった。尼ヶ崎彬や鷲田清一もそうだが、日本の思想の担い手がいまやまったく新しくなったのだと強く思わせる。

 こんなにほめるのでは読まないわけにはゆかない。そして、空海を語るのに、多く経典が参照される。冒頭では、プラトン哲学の基本系は「美とイデアと政治」とされ、それに対して空海のそれは「風雅と成仏と政治」とされる。そのことが空海の本質的な問題であるとは、私には理解することができなかった。空海については、加藤周一『日本文学史序説』(ちくま学芸文庫)に簡明な解説がある。

 果して(『三教指帰』の)30余年の後、晩年の空海は、その主著『十住心論』10巻(830)を書く。その内容は、世俗的な常識から、外道各派(インドの非仏教哲学)と仏教各派を通じて、真言密教に至るまで、それぞれの立場を、主としてその世界観の存在論的構造において要約し、仏道修業の10段階として位置づけたものである。(中略)
 すなわち『十住心論』の10段階は、第4以後、声聞・聴覚・菩薩道(大乗)の5段階として、真言の秘儀に到る仏道修業の組織的な道程を示すばかりでなく、外道(老荘を含む)、小乗の二説、大乗の五派(法相、三論、天台、華厳、真言)の異なる教説を要約しながら、後説が前説を踏まえてその上に出るものとし、その全体を段階的に秩序づけている。秩序づけの原理は、人(我、心)と境(世界)との関係、または主観と客観との関係の定義如何ということである。すなわち各説各派の排列は、論理的であって、歴史的ではない。理路整然。ここにはもはや嘗ての『三教指帰』の四六の美文はなく、簡潔明快な文章が、極度に抽象的で煩雑な観念の体系を解きほぐす。その話題が今日の読者の嗜好に投じないとすれば、そこに千年の歳月の隔たりがあるからである。観念の体系の整然たる秩序が今日なお美しいとすれば、人間の精神に時代を超えて相通じるものがあるからだろう。歴史的にみれば、仏教は渡来して300年の後、日本人の作った観念的建築のもっとも美しいものの一つを生みだすに到った、ということができる。あるいは日本における体系的精神が、『十住心論』の包括性と内的斉合性において、はじめて自己を実現した、ということもできる。空海とその主著が画期的なのは、そのためである。

 篠原の『空海と日本思想』では、唐突に天皇制が賛美される。「序章」から、

 時代により、あるいは宗派により、程度の差こそあれ、密教天皇制を強化あるいは補佐するべく機能してきたのは、疑いあるまい。そして天皇制が、内乱による国の四分五裂状態を、とにもかくにも回避させてきたことも、まぎれのない事実である。(中略)天皇制は、まさしく内乱という悪に対する闘いとして、効果的に機能してきたといってよい。密教天皇制に寄与してきたことと、天皇制が内乱の回避に寄与してきたこと。この点に成仏と政治とをつなぐものへの、なにがしかの理論的な足がかりがあるだろう。

 ついで「終章」からも、

 忘れてならないのは、天皇への報恩だろう。(中略)いうまでもなく、縄文時代から今日にいたるまで、長い年月のすべてとはいわないまでも、ほとんどといってよいほどの長きにわたり、日本が、ある程度のまとまりにおいて存続できたのには、天皇のおかげが大きいのである。

 三浦雅士は本気で本書を推薦したのだろうか。また三浦の称揚する尼ヶ崎彬や鷲田清一だが、尼ヶ崎については知らないが、鷲田の説く現象学はとても難解だ。この難解な文体が新しい哲学なら参るなあ。


空海と日本思想 (岩波新書)

空海と日本思想 (岩波新書)

日本文学史序説〈上〉 (ちくま学芸文庫)

日本文学史序説〈上〉 (ちくま学芸文庫)