桑原武夫『文明感想集』を読む

 桑原武夫『文明感想集』(筑摩書房)を読む。1970年代前半頃あちこちに描いたエッセイを集めたもの。「今西錦司について」は今西の全集のための解説だが、今西の偉大さをよく示している。でも20年以上前に今西の孫弟子にあたる京都大学の昆虫学者に会ったとき、今西の業績、進化論も棲み分けも「お話だ」と否定していたのを思い出す。あの偉大な思想が継承されていないのだろうか?

 「シルクロードの旅」から、

 私たち日本人はイスラムについて無教養だが、西欧のことには比較的通じている。そのため私たちの美意識までが西欧風にイカれてしまっているのではないか。そう反省はしてみるのだが、どうしてもイスラムの大建築は絶対的で、それだけに脆弱なものを内包し、永続性を欠くように感じられる。それは、こうした建築物をつくり出した専制政治権力者の生活を反映しているように思われる。マホメットの後継者カリフは一人をのぞき4代目までみな暗殺されている。その後ウマイヤ朝でもアッバス朝でも、一族内の殺し合いはすさまじい。当時世界最高の天文台を当地にきずいた、チムールの孫ウルグ・ベクも息子に暗殺され、その息子もすぐ殺される。

(中略)

 人生における幸福は、と聞かれて、チンギス・ハーンは、敵城を陥れ、国王をしばりつけ、その面前において王妃、王女を犯す、人生の快楽これに過ぎたるはなし、と答えたという。

 

 「トルコの印象」から、

 オスマン・トルコが版図を拡張していったのは、異教徒との戦いを使命とする「辺境戦士(ガージ)」の力だといわれる。そしてサルタンはひとたび位につくと、内乱防止のために兄弟をすべて殺戮してよいという定めがあったのだ。こうして栄えたオスマン帝国は、軍国主義独裁制の権化だったといえる。

 

 「鉄斎の芸術」で、

(……)日本の名手として狩野探幽とともに、匠気ありとして軽視されがちな谷文晁を(鉄斎が)高く評価しているのは注目に値する。写生楼の名に背かず文晁は写生の名人であって、その『日本名山図会』は、その迫真性において今日も最高の地位を占めるべき山岳画集である。鉄斎が48歳のとき『本朝勝区帖』を製作したのは、文晁のひそみにならったのかもしれない。南画では大雅を第一に推している。しかしこの脱俗の畸人は「学問が深くないので、晩年になって進境を見せていない」と人にもらしたという。これに対して田能村竹田は、「絵はうまいとはいえないが」、学問はよくできたと評価している。

(中略)

(……)愛するものを賛美するために他をおとしめる陋を知らぬではないが、率直に私見を言えば、大雅は恐らく中国にもない自由の面白さを出しているが、純粋にすぎて剛気に乏しく、玉堂は陶器の肌を思わせて清楚だが、美少女の容貌のごとく、どこか浅い。ひとり鉄斎は複雑にして直截、重く美しい。

 内藤湖南は、1500年に及ぶ長い中国絵画の歴史は、結局南画というものを大成するために進み来たりつつあったのだと言った。私もこの大胆な発言にならって、巨勢金岡以来日本絵画の長い伝統は、その最後の巨匠として、また中国の同時代人を凌駕しえた最初の日本人としての富岡鉄斎の芸術を大成せしめるためにあったのではないか、と言いたい気持ちを押さえることができない。

 

 私も富岡鉄斎を顕彰するには吝かではない。傑出した日本人画家だと思う。