富岡幸一郎『生命と直感』を読む

 富岡幸一郎『生命と直感』(アーツアンドクラフツ)を読む。副題が「よみがえる今西錦司」で、今西錦司の業績を再確認、再評価しようという書。今西錦司という生態学者、進化論者、巨大な知というべき人が亡くなってもう27年になる。あれだけ偉大だった人の名前を聞かなくなって久しい。2005年9月に京都大学で行われた「ゴール形成節足動物生物多様性に関する国際シンポジウム(主催:日本虫えい形成節足動物研究会)」に『日本原色虫えい図鑑』の担当編集者として参加した。その時京都大学の昆虫学の教授と今西錦司の進化論について雑談したことがあった。その教授は今西さんの3代目の弟子にあたる人だったが、今西進化論について、あんなものはおとぎ話ですよとにべもなかった。それで、今西先生の棲み分け論は国際的に評価されているではありませんかと言うと、あれもおとぎ話ですと鼻で笑ったような答えだった。アカデミズムの世界での今西論のそれが定番の評価なのかと思った。
 富岡もそんな風潮を改めて払拭したいと本書を書いたのではないか。大変うれしく読んだのだった。今西はダーウィンの進化論を批判する。適応によって生存者が決まる、適者生存という考え方を批判する。強い種が進化するという説を。今西は種は変わるべくして変わると禅問答のようなことを言う。本書にも引用されている今西の言葉を引く。

だからいまでもアメーバとかゾウリムシとか、いくらでもそういう体制の簡単なものがいます。そういうものとわれわれは一しょに住んでいるんです。別な言葉でいえば、みんなシステムの一員として、システムの中に含まれているんでして、下等なものが滅んで高等なものだけが栄えているというものではないのです。その辺のところでダーウィニズムをとり違えると、そんなものがいまごろまで生きているのはおかしいというようなことになりかねんのです。
 だから私は、進化というのは棲みわけだと、繰り返しいってきました。進化は棲みわけの密度化であるともいってきた。密度化することによって、このシステムそのものも非常に精巧な、巧緻なものになってきたので、それらを全部ひっくるめたものが進化だという見方です。
 そういうところで、いままでの生物学の中に閉じ込められた、マンネリ化した進化論とはちょっと違うんです。

 また今西錦司を読み直してみよう。

 

生命と直観―よみがえる今西錦司

生命と直観―よみがえる今西錦司

  • 作者:富岡幸一郎
  • 出版社/メーカー: アーツアンドクラフツ
  • 発売日: 2019/05/31
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)