片山杜秀・島薗進『近代天皇論』を読む

 片山杜秀島薗進『近代天皇論』(集英社新書)を読む。片山は政治思想史研究者、島薗は宗教学者。二人の対談をまとめたものでとても読みやすい。
 まず片山が司馬遼太郎の「司馬史観」を紹介する。

片山  島薗先生のお話を聞いていて、もうひとつ思い起こしたのは、司馬遼太郎の次のような言葉です。
「日本と言う国の森に、大正末年、昭和元年ぐらいから敗戦まで、魔法使いが杖をポンとたたいたのではないでしょうか。その森全体を魔法の森にしてしまった。発想された政策、戦略、あるいは国内の締めつけ、これらは全部変な、いびつなものでした。(中略)魔法の森からノモンハンが現れ、中国侵略も現れ、太平洋戦争も現れた」(『昭和という国家』日本放送出版協会、1998年)
 近代日本を語るとき、今なお司馬遼太郎のいわゆる「司馬史観」は大きな影響を持っていて、戦前日本は大正デモクラシー後の昭和からおかしくなっていったという見方は根強くあります。
 つまり、司馬遼太郎自身は、「魔法」はだいたい昭和に入るころからかけられたものだと考えていた。それまでは正気だったと。しかし、私自身も島薗先生と同じように、「魔法」は明治維新のときすでにかけられていたと思うのです。
 それに対して今日の復古主義的な人々は、戦後こそアメリカに「魔法」を」かけられてしまった、その前は正常だったという立場でしょう。大東亜戦争には大義があったが、東京裁判で一方的に裁かれた。「押しつけ憲法」に屈辱を感じ、戦後民主主義、戦後憲法の説く国民主権基本的人権の尊重と絶対平和主義を、悪魔のかけた「魔法」の呪文と感じている。解きたくて堪らない。解けば正気に返ると考えているのでしょう。

 片山は水戸光圀が始めた水戸学が明治維新の思想を用意し、それが太平洋戦争まで続いたと考えている。いやその尊攘思想が現在まで続いていると。
 水戸光圀は家康の孫だったけれど、水戸藩は御三家のなかでも一番格下だった。尾張紀州の藩主は大納言なのに、水戸は中納言。石高も低く、しかし経済力に比して政治的・軍事的負担率がきわだって高かった。水戸藩ではなぜ自分たちだけがそれだけの負担に耐えなければならないのかを考えた。水戸光圀は、水戸藩が命懸けで幕府を守るのは幕府にそれだけの値打ちがあるからだと考えた。その大義を熟考した。将軍家は征夷大将軍の位を天皇から与えられている。将軍の権力、幕府の秩序を保つことは、そのまま天皇を守り、日本の「世界に冠たる国柄」を護持することに直結すると考えた。
 水戸光圀から始まる水戸藩の尊皇思想に、外国を打ち払う江戸末期の攘夷思想がくっつく。尊皇攘夷思想だ。しかし外国との国力の差を知らされる。そこで西洋文明の長所を学んで、経済力と科学力と軍事力で対抗できる段階に行くまで攘夷をお預けにする。

片山  近代日本は、ある意味で、(後期水戸学の会沢)正志斎の予言どおりの道を進んでいきます。つまり尊皇攘夷のモチベーションはずっと維持し続けている。昭和の大東亜共栄圏も、言ってみれば日本が中心となって東洋チームをつくり、西洋を追い出すのですから、攘夷拡大版と見ることができます。

 太平洋戦争の目的は、アジア人が共存共栄する「大東亜共栄圏」の建設だとされた。ここに至っても尊皇攘夷の思想が焼き直されている。
 興味深い議論が続く。最後に今上天皇の昨年の「お言葉」が重視される。それを分析して、片山は「今上天皇は象徴天皇についての最大の思想家ですね」とまで言う。「当たりは柔らかいけれども内容は強烈です」と。
 とても勉強になり教えられることの多い近代日本政治思想史の手ごろな教科書だった。なぜこれがもっと評判にならないのか不思議だ。今年1月に第1刷が出て、最近でも第2刷が出ているに過ぎない。読みやすく内容が深いのに。