草間彌生『水玉の履歴書』を読む

 草間彌生『水玉の履歴書』(集英社新書)を読む。著書という形を取っているが、実は鈴木布美子というライターがインタビューしたものを構成したもののようだ。
 まず全体のページ数が171ページしかない。新書は普通200〜250ページが標準だ。しかし特徴的なのは、草間の文章とされているものがたったの40ページ余だということ、ライターの文章が35ページあり、写真に45ページ充てている。さらに2、3行で済ます見出しに1ページを充てているので、この見出しと扉、目次、裏白で50ページ近く取っている。よくこんなスカスカの原稿量で1冊の新書を構成したと素直に感心する。
 集英社新書では、以前も中沢新一の『日本の大転換』という本が出版されている。これはわずか155ページの新書だったが、ほとんどすべて中沢の文章で埋まっている。第一、内容的にも濃いものだった。では草間の新刊はどうか。
 草間彌生自伝『無限の網』(新潮文庫)につけ加えるものはここにはほとんどない。とくに草間が言葉で発するメッセージは素朴なもので、思想という領域には届いていない。ベトナム戦争に介入するアメリカを批判して、1968年ニューヨークで「ニクソンへの公開質問状」というハプニングを行ったという。そのときのメッセージの一部。

 親愛なるリチャード様、
私たちは自己の存在を忘れ、神と一体化しましょう。
裸のまま集まってひとつになりましょう。

 このメッセージが反戦に有効だと考えるほど社会は脳天気ではないだろう。
 高橋コレクションは、日本の現代美術のコレクターとして有名な高橋龍太郎の美術コレクションだ。2,000点の収蔵作品のうち、草間の作品は50点を超えるという。その高橋の言葉。

「草間さんは時代を超越したスーパーウーマンです。オリジナリティという点では、他の作家の追随を許しません。だから時代が彼女を見逃すこともあれば、時代が彼女に追いつくこともある。たぶんクリエーターとしては、1世紀にひとりぐらいの偉人でしょう」

 この評価は過大すぎると言うべきだろう。まあ、高橋はコレクターであって、発言にそれ以上の根拠があるわけではないが。
 草間の自伝を読んでも、思想と呼べるほどのものはない。せいぜい情緒的な感想といったところか。ただ作品は思想なんてなくても洗練させることができるだろう。思想のないことで作品を貶めることはできない。草間の作品とは何か。おそらくプリミティブなものに近いのだろう。世界のアート市場のトップ近くに躍り出たとしても、アート世界のトップと評価されることはないだろう。アート世界の細くはないかもしれない支流が彼女の立ち位置ではないだろうか。


水玉の履歴書 (集英社新書)

水玉の履歴書 (集英社新書)