波戸岡景太『スーザン・ソンタグ』を読む

 波戸岡景太スーザン・ソンタグ』(集英社新書)を読む。副題が「脆(もろ)さにあらがう思想」。昔『反解釈』が話題になったアメリカの知識人で批評家・作家だ。私も『写真論』と『他者の苦痛のまなざし』は読んだけど、小説『死の装具』は50年近く前に買ったまま、まだ一度も読んでいない。

 三牧聖子が朝日新聞で本書を紹介している(1月13日付け)。

 

 著者が注目するのが、ソンタグの「ヴァルネラビリティ(脆さ)」に関する思考だ。ソンタグによれば撮影とは被写体のヴァルネラビリティに関与することである。この姿勢なしに苦しむ被写体を見ても、その苦痛は決して理解できない。ソンタグは、苦しむ体に興味を抱くのと同じ人間が裸体の写真を見たいという欲求を持つ以上、「苦痛の身体」のイメージは簡単に「ポルノ的な身体」に変わりうると看破していた。ソンタグの写真論は、苦しむ他者に興味や同情は寄せても、写真を鑑賞する特権的な立場にいる自分がその苦しみに関わっている可能性には無自覚な私たちへの批判に満ちている。(中略)

 写真や映像で苦痛を伝えることの限界を見据え、だからこそ言葉を尽くして語り続けたソンタグ。その思索を丹念に辿った本書は、私たちの人間理解を確実に豊かにしてくれるはずだ。

 

 波戸岡はソンタグの著書をはじめ業績を紹介するが、同じ程度に伝記的側面、生活にもページを割く。ソンタグは結婚して息子がいるが、離婚して女性をパートナーにしていた。さらに最後にがんを患ってそれを公表し、著書にも取り上げ、亡くなる前には死につつある自分を撮影させている。それらをスキャンダルとして取り上げることも多かったようだ。

 ソンタグの個人生活にはあまり興味がない。1960年代、70年代のカリスマ批評家だったソンタグは、その後どんな活躍をしたのだろう。本書を読んでまたソンタグを読みなおそうという気にはならなかった。