東京都現代美術館閉館というガセネタの影響

 美術評論家の名古屋覚が『ギャラリー』4月号の「評論の眼」に、東京都現代美術館が閉館することになるだろうと書いた。

……ところで、そんなインチキみたいな展示を多くやる東京都現代美術館を閉館し、主に都内在住作家による最新のアニメやゲームと、書や工芸などわが国の伝統美術を同時に紹介する「クールトーキョーフォーラム」を同館建物内に新設する方針を、東京都はこのほど固めた。収蔵品売却と美術館精算のために必要な条例案を年内にも都議会に提出するという。本誌発行日には周知のことになっているだろう。

 これが読売新聞などにも取り上げられ、東京都現代美術館が否定するなどの騒ぎになった。名古屋覚は雑誌の発売日(4月1日)にかけたエイプリルフールのジョークだと弁明し、『ギャラリー』編集部も事実ではなかったと謝罪した。
 その影響か、『ギャラリー』5月号の「評論の眼」で名古屋が謝罪し、今回で連載を終了すると書いている。

 先月号の"ジョーク"の内容が一時本当のこととして流布してしまい、東京都現代美術館関係者はじめ多くの方々を驚かせ、その仕事を増やしてしまったことに対して、深くおわびいたします。思えば本連載も先月でちょうど30回。1回超えましたが、今回でひとまず終了とさせていただきます。どうもありがとうございました。

 名古屋覚の毒舌評論のファンだったのでちょっと残念だ。しかし影響はまだ続いている。
『ギャラリー』5月号に東京国立近代美術館の主任研究員保坂健二朗がインタビューを受け、「新・学芸員の企画術 キュレーションの壺」と題する4頁にわたる談話が掲載されている。その末尾に「補記」として、保坂のコメントが載せられている。

 本誌4月号に掲載された名古屋覚氏の記事の内容と、それが引き起こした反応に対する対応から、本誌の編集部は、文章における真偽や読者のリテラシーに対して一切の配慮をしないのだと私は判断した。そのような雑誌にインタビュー記事が掲載されることは、美術(館)業界に身を置く者としても、時に文章を公にする者としても極めて「遺憾」であり、それゆえこのインタビューについては一度は不掲載を考え、その意思を編集サイドに伝えもした。しかしながら、このインタビュー自体、本務=公務の時間内に受けたことなどもあって、熟慮の末、最終的に掲載することを了解した次第である。
 しかし、記名原稿ならば、そこに悪質な嘘がつかれていようと稿料が支払われるというのに、インタビューにおいては、相当の校正作業が発生することもままあるのに(そしてそのような作業は当然のことながら勤務時間外にしか行えない)、謝礼のあるなしの話すら最初の段階でなされないというのは、いったいどういうことなのだろうか。また、本来であれば言うまでもないことであるはずだが、ここが『月刊ギャラリー』という媒体である以上、「ここに書かれてあることはすべて事実である」と最後に注記しておかなければならないだろう。
        2013年4月11日 保坂健二朗

 大変厳しい意見だ。しかし、保坂の意見はすべて妥当と言うべきだろう。インタビューに対しては稿料が支払われていないらしいのも驚きである。同じ『ギャラリー』5月号の「奥付」に当たるページに、編集発行人 本多隆彦によるお詫びが掲載されている。

月刊ギャラリー4月号「評論の眼」名古屋覚の記事に対するお詫び


月刊ギャラリー2013年4月号、「評論の眼」71ページ・下段の(…。ところで、そんなインチキみたいな展示を多くやる東京都現代美術館を閉館し、主に都内在住作家による最新のアニメやゲームと、書や工芸などわが国の伝統美術を同時に紹介する「クールトーキョーフォーラム」を同館建物内に新設する方針を、東京都はこのほど固めた。収蔵品売却と美術館精算のために必要な条例案を年内にも都議会に提出するという。本誌発行日には周知のことになっているだろう。)という文章の記載は事実ではありません。同評論文が掲載された幣誌4月号は4月1日発売であることから、著者がエープリルフールのユーモアとして書いた評論文の一部でした。しかしこの表現からはエイプリルフールのユーモアと理解することはできない等という多くのご意見を頂きました。ここに改めて多くの方々に予期せぬ誤解を招いてしまったこと、東京都現代美術館には多大なご迷惑をおかけしたことを反省し深くお詫び申し上げます。

 このお詫びの文中に「エープリルフール」と「エイプリルフール」の二つの表記が混在しているが、原文のママである。細かいことだが、謝罪文ではことに細心の注意が必要だろう。(また娘に言われるかもしれない。父さん、えっらそうに)。
 閑話休題。私も2度ほどインタビューらしきものを受けたことがある。雑誌に掲載されたのには、私が話してないことが作られていたし、新聞に載ったときは全く言ってもいないことが捏造されていた。どちらも校正の機会が与えられなかった。