洲之内徹『芸術随想 しゃれのめす』(世界文化社)を読む。同じく洲之内の『芸術随想 おいてけぼり』(世界文化社)の続編。『芸術新潮』に連載され好評だったエッセイをまとめた『気まぐれ美術館』シリーズに収録されていない、新聞や画廊のパンフレットに書いたものを集めたもの。『芸術随想 おいてけぼり』についてはこのブログでも紹介したことがあった。
・「気まぐれ美術館」の洲之内徹と若栗玄という画家(2007年8月27日)
『気まぐれ美術館』シリーズ全6巻を読んだのはもう20年近く前になるだろうか。当時洲之内の審美眼を過小評価していたと、今回『芸術随想 しゃれのめす』を読んで反省した。私がよく分かっていなかったのだ。
本書のカラー図版で見る佐藤哲三、吉岡憲、松田正平、田畑あきら子、高間筆子、小野木学、喜多村知等々がすばらしい。つまり、これは私がようやく中間の美が分かるようになってきた、ということではないか。中間が分かるとはどういうことか。以前このブログに書いたことがある。
昔小田実が「アメリカ」という紀行文で、初めてアメリカに行った時アメリカの女性の美醜が分からなかったと書いていた。極端なのは分かる、中間が分からない。しかしそれもアメリカに何ヶ月も暮らすうちに徐々に両側から埋まっていって、最後は日本人女性を見るようにアメリカ人女性が見られるようになった。
私は日本から出たことがないのでこの経験はないが、これはたいていのことに当てはまるのではないか。絵でも本当に良い絵は誰でも分かるだろう。極端にひどい絵も分かる。経験を深めていくことによって中間部分がだんだんに秩序つけられていく。
喜多村知の個展に際して作ったカタログに、洲之内は絵を見るには、絵を見る力が要る、と書いている。
絵を見るには、絵を見る力が要る。絵を前にして、ただ受け身に、漫然とその絵を見ているだけでは、絵を見る力は身につかない。およそ本当に絵と呼ぶに値するほどの絵なら、それを描くために作者が心を尽くし、身を尽くす、それと同じ力が見る方にも要るだろう。また、それでこそ、絵を見る喜びもあるだろう。当節流行のカルチャー・センター式の、お手軽で便利な知識なんかで絵を見て、分かったような気になっている限り、いつまでも絵は分かりはしない。ところが困ったことに、当節はまた、そういう見方で充分間に合うような、上っ面だけの、血の気のない仕事ばかりが世間を横行しているのも事実である。
改めてまた『気まぐれ美術館』シリーズを読み直してみよう。
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