曹良奎という画家がいた。在日の画家だった。優れた絵を描いていたが、差別に苦しんだようで、北朝鮮への帰国運動のとき、北へ行ってしまった。曹自身は現在の韓国の済州島出身だったが。作品はほとんどを持って行って、洲之内徹や針生一郎氏らが購入したものを除いて日本には残らなかった。残った作品は現在東京都現代美術館と宮城県立美術館に収蔵されていて、ときに常設展で見ることができる。
曹が北に渡った後、針生一郎氏と手紙のやり取りをしていたが、その内音信不通になってしまった。その後消息が全くつかめなくなった。eitoeikoでグループ展をしていた朝鮮大学校出身の画家に曹良奎について知っているか尋ねると、北朝鮮に行ったとき、曹良奎のデッサンを見たことがある。タブローは見ていない。デッサンは大切にされていたとのことだった。
チャン・デュク・タオはベトナム出身の哲学者で、フランスで現象学を研究していた。特に唯物論と現象学の融合がテーマだった。在仏当時の著作が翻訳されている。「マルクス主義と現象学」は『現代の理論』(1967年8月号)に掲載された。また『現象学と弁証法的唯物論』(合同出版)と『言語と意識の起源』(岩波書店)がある。チャンはその後北ベトナムに帰国したが、やはり消息不明になってしまった。なお、『現代の理論』では、トラン・デュク・タオと表記されている。
マチスがそのような不幸とは無縁だったことは周知のとおりだ。だがマチスの傑作「ダンス」、「音楽」、「赤い部屋」などはロシアのエルミタージュ美術館にある。その訳は、ロシアのコレクター、セルゲイ・シチューキンがマチスの作品を購入し、ロシアに持ち帰ったためだ。その後それらの作品はロシア革命でソ連政府に没収された。ソ連は社会主義リアリズムを掲げていたため、収蔵しているマチスを公開しなかった。ただ、学芸員は大切に扱ってきたという。ソ連が崩壊して初めてマチスが西側諸国に公開された。1992年のニューヨーク近代美術館のマチス展は、ソ連に収蔵されていたマチスが西側に初めて公開された大回顧展だった。
マチスも長い間、作品が見られなかったのだった。