谷川俊太郎の評価

 先日『自選 谷川俊太郎詩集』を紹介した。少々辛口の評価をしたが、丸谷才一も結構厳しいことを書いている。丸谷才一『快楽としての読書 日本篇』(ちくま文庫)より、谷川俊太郎『日々の地図』(集英社)に対する書評。

まっすぐ歩くと
すぐ青空につきあたってしまう
あの角を曲ろう そして
ダウン・タウンへまぎれこむんだ
(中略)
一億年前にはここにも
象がいたかもしれないのだし
一億年後にはまた
象がもどってきてるかもしれない
そんなことを考えると
なんだか美しすぎるような気がする
(後略)

「新宿哀歌」といふ詩の書き出しだが、こんなところを読むと、谷川俊太郎は戦後日本の北原白秋なのだと改めて気がつく。白秋の『東京景物詩』のせいではなく、あふれるほどの才能があつて、仕事ぶりがきれいで、口あたりのいい感じが、じつによく似ているのだ。ここには、明確でしかも快い言葉の流れがある。詩の原型である甘美なものをこともなげに差出す男がゐる。さらには、これでもうちよつと世界に奥行があつたらどんなにすばらしいだらうと思はせるところも、白秋そつくりだと言つて置かうか。
 しかし、白秋では民謡がいちばんいいと三好達治は語つたさうだが、谷川は民謡を書いてゐない。地方出身者で造酒屋の息子である白秋が身につけてゐたやうな、生活者としての共同体感覚は、東京の哲学者の息子にはないのだろう。彼はその意味で、戦後詩人であるよりもむしろ都市化の時代の詩人なのである。彼には田村隆一が持つてゐるやうな形での(東京下町の風俗としての)伝統的な生活様式はない。大岡信が持つてゐるやうな、紀貫之藤原定家の言葉と通ひあふものもない。彼は山の手と北軽井沢に生きながら、現代日本人を代表して、一種抽象的な喪失を歌ふ。

 さらに「八・一五」という詩の第2連、これは天皇終戦を表明したラジオ放送をテーマとしているのだが、

おれは声を憶えていると
べつの男が言った
心というものの感じられない奇妙な声
でもあれが日本語というものだったのか
おれも時にはあんな喋り方をする
(中略)

 第2連の最後の、「おれも時にはあんな喋り方をする」といふ行によく出てゐるのが、照れたりはにかんだりの藝である。このクセ球はじつに楽しい。それはまるで、ジェイムズ・ディーンのやうなかはいい媚態だ。しかし、詩人はいつまでディーンのやうな顔つきでゐられるものだらうか。

 谷川があまりおもしろくないのは、思想性が希薄なせいだろう。その点で白秋と同列に評価されるのだ。しかし、丸谷による谷川の理解は優れていると思う。大岡信に対する評価は少し過大だと思うが。


快楽としての読書 日本篇 (ちくま文庫)

快楽としての読書 日本篇 (ちくま文庫)