雑司ヶ谷の千登世橋


 先月半ば目白の望美楼ギャラリーへ山崎万亀子水彩画展を見に行った。東京で水彩画だけの個展をするのは初めてと言っていたが、水彩画もとても良かった。その後表参道のギャラリーへ行こうと地下鉄雑司ヶ谷駅に向かった。駅のすぐ手前に古そうな趣のある陸橋があった。目白から歩いてきた目白通り明治通りを跨いでいた。
 そのちょうど半月後、毎日新聞の日曜版に連載されている大竹昭子のエッセイ「日和下駄とスニーカー」が「陸橋(その三)」だったが、そこにこの千登世橋が取り上げられていた(7月29日)。

……谷道や尾根道を縦に結んだ最初の幹線は明治通りである。正式には環状5号線というが、この明治通り目白通りが交差する場所に昭和8年、千登世橋が架けられた。これが幹線道路同士の立体交差としては最初期のものだという。(中略)
 知らずに来たら川が流れているかと見下ろしてしまうほど、橋らしい橋である。それは視界の広がりだけでなく、橋のデザインのせいらしい。石造の親柱の上に街灯がのったアールデコ風の威風堂々としたもので、隅田川に架かる清洲橋永代橋を思わせる。
 橋の反対側には明治通りに下りる幅の広い立派な石段がある。下りていきそうになるのをぐっとこらえて橋の先に目をやると、街灯を戴いた親柱がもうひとつ見えるではないか。なんだろう、とそばに寄って欄干に貼られた銅板を見ると「千登世小橋」と演歌のタイトルのような名が刻まれていた。

 これは都電の線路の上を跨ぐ跨線橋だというので、律儀にも名前を分けてあるのだという。当初は平面交差を考えたらしいが、標高差が20mもあるので、かなり急勾配になる。その坂は馬が荷をひいて登るのは難しいので陸橋にしたのだと大竹のエッセイは続けている。この「日和下駄とスニーカー」は毎週たのしみにしていたのだが、この7月29日のものが最終回とのこと、残念だ。
 橋の側に記念碑があり、千登世橋のいわれが書かれている。

 千登世橋は、昭和7年に橋長28.0m、有効幅員18.2mの一径間鋼ヒンジアーチ橋で架設された。
 この橋は、明治通り目白通りとの立体交差橋で都内でも土木史的価値の高い橋として「東京の著名橋」に指定された。
 著名橋整備事業として、千登世小橋と共に親柱、高欄、橋側灯及び橋詰空間など、歴史的原型の保全を行い、文化遺産継続の願いをこめて修景を施したものである。

 なるほど「都内でも土木史的価値の高い橋」なのか。



千登世橋

千登世小橋

明治通りに下りる石段

明治通りを見下ろす

橋際の「来島良亮君」と書かれたレリーフ