東京八丁堀の文京アート(Fuma Contemporary Tokyo BUNKYO ART)で没後20年・小山田二郎「作品とその関連資料展」が開かれている(5月28日まで)。
小山田は1914年に生まれ、20年前の1991年に77歳で亡くなった。瀧口修造の推薦を受けてタケミヤ画廊で初個展をし、自由美術協会へ属していた。幼い頃下唇が膨れあがり顔に痣ができる病気にかかって生涯治らなかった。それが影響しているのか鳥の顔をした女の絵を描いたりしていた。野見山暁治が「四百字のデッサン」に小山田二郎の思い出を書いている。野見山さんがフランスへ行く直前というので、これは1952年のことだ。
私は高円寺の屋台で、堀内規次や小山田二郎と別離の酒を飲みながら、いつまでも侍になれない人間同士のウサをかこつような酔い方をした。1年ほど前から画策していたフランス行きがようやく具体化し、私はもうあと2,3日で横浜から出航のフランス船に乗ることになっていたのだ。もともと自由美術に私を誘ったのは堀内だった。私がフランスに行くと決ってから、堀内は淋しさと口惜しさでよく飲んだ。終電がなくなるというので私は気が気ではなく、小山田二郎は朝まで私と飲むのだと意気まいてどうにもならず、私が姿をくらますと、とうとう駅まで私を追っかけてきた。小山田二郎が酔っぱらって深夜、友だちを呼ぶ声に、待合室にいた人たちは、一瞬信じられないような怯え方をした。人々は彼の絵の登場人物にそっくりの異様な顔をそこに見たのだ。私は駅の暗い物かげにひそんで、四角い窓ガラスのなかに浮き出ている光りと、人々の視線にさらされた小山田二郎に、やりきれない友情につまされながらも、彼の画面そっくりのきらびやかな影にこの世ならぬ幻覚を覚えていた。
針生一郎さんも小山田が亡くなった翌年、朝日新聞に「ひっそりと去った異才 小山田二郎という画家」と題した追悼文を書いている。
……彼の燐光を放って明滅するような色彩、多感にふるえる筆致は、繊細鋭敏に心理をえぐりだして独特で、とりわけグワッシュ(不透明水彩)の作品は近代日本に類例がない。美校在学中からシュルレアリスト系グループ〈アニマ〉に加わり、ついで独立美術展を経てシュルレアリストの団体、美術文化展に出品した。
針生さんは「私は小山田二郎の仕事が、美術史に残ると信じている」とも書かれている。3年後の2014年は小山田二郎生誕100年になる。ぜひ公立美術館で小山田二郎生誕100年記念展を企画してほしい。
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−没後20年− 小山田二郎「作品とその関連資料展」
2011年5月13日(金)−5月28日(土)
11:00−18:30(日・月・祝日休廊)
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文京アート(Fuma Contemporary Tokyo BUNKYO ART)
東京都中央区入船1-3-9 長崎ビル9階
電話03-6280-3717
http://www.bunkyo-art.co.jp
地下鉄日比谷線・JR京葉線八丁堀駅A2出口より徒歩2分
地下鉄有楽町線新富町駅5番出口より徒歩4分
- 作者: 野見山暁治
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 1982/10
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