死について語る田淵安一

 画家田淵安一のエッセイ「イデアの結界」(人文書院)の「荘周の夢」で、田淵が死について記しているくだりがある。それが印象的だった。

 やがて50年まえになるが、文化勲章を受章された遺伝学者、桑田義備(よしなり)博士にこのような話をうかがった。博士は京都大学を退官され、そのころ自宅で、外国で発表されるはずの論文に精魂を傾けていらした。
「わたしはね、さきごろ妻を亡くしたでしょう。そういうことから、霊魂の不滅を証明できないかとおもったのですよ。けっきょく科学的には究明できませんでしたがね。妻は、わたしの想い出がある限り生きるということです。けれど、生と死との境というのは科学的にそれほどはっきりはしないですよ。顕微鏡で遺伝子をのぞいていると、ある瞬間とつぜん痙攣して止まる。ふつうそのとき細胞が死んだというのですがね。その前とその後とで化学分析をするとなんの変りもないのですよ。」


 先年亡くなった詩人のエドモン・ジャベスは、12歳のとき20歳になる姉をなくした。臨終の部屋に、彼は、姉とふたりだけだった。
「死のことを思ってはだめよ。泣くのじゃないの。ひとはじぶんの運命を逃れられないのだから。」
 姉は微笑を泛べていた。
 ある対談でその死にふれ、次のようにいっている。
「片側に生があり、反対側に死があるのではない。夜のなかで、微笑みながら迷ってしまう、捉えようもない境界があるということなのだ。」


 死と生との境界において、前と後といった線的時間の順列があるのではない。前は後であり、後は前なのだ。

 田淵安一は画家でありながら東京大学美術史学科を卒業している学者なのだ。

イデアの結界―西欧的感性のかたち

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