神奈川県立近代美術館鎌倉館で田淵安一展が開かれている(9月15日まで)。田淵は1921年生まれ。1943年、学徒動員で海兵団へ入隊。1945年終戦後、東京大学文学部美術史学科に入学、1948年卒業とともに同大学院に在籍する。1947年から新制作派協会展に出品する。1951年、フランスへ渡り、私費留学生としてソルボンヌ大学に在籍する。
田淵の渡仏翌々年にフランスへ渡った野見山暁冶が12年後に帰国したのに対して、田淵は80歳を超えるまで日本に帰ることなくフランスで活動し、1985年にはフランス政府芸術文化勲章を受章している。フランスでの評価が高いのに比して、日本での知名度は野見山暁冶に比べてはるかに低い。2009年に88歳で亡くなった。
神奈川県立近代美術館では1996年と2006年に大規模な個展が開かれている。今回は少し規模が小さいが、初期から晩年までの作品を並べた回顧展になっていて、田淵の大まかな全体像が分かる構成になっている。
初期の作品を見て、田淵が野見山と近いところで仕事をしていたのを知っておもしろかった。二人とも平面的な表現を追求している。それが1960年代から田淵独自の世界を表してくる。鮮やかな色彩も含めて晩年の表現までほとんど一直線だ。
田淵は東大で美術史を学んでいる。想像だが父親から画家への道を進むことに賛意を得られなくて、美術史というコースを選んだのではないか。それでも東大を選ぶとは頭脳明晰だったのだろう。事実、田淵の著書『イデアの結界』(人文書院)を読めば、田淵が制作にあたって深く考え、明確な構想のもとに作品を完成させているだろうことが分かる。それは野見山曉冶の制作方法とは対極のものだ。
野見山が日本へ帰ってきたとき、こんな湿っぽい国でどんな色を使ったらいいのだろうと思ったと書いていた。その結果、野見山の湿ったようなみごとな色彩が生まれた。田淵は帰国しなかった。乾いた国で絵を描き続けた。田淵の絵には湿っぽい色は使われない。乾いていて軽やかで鮮やかな色彩だ。その色はエミール・ベルナールあたりの影響だろうか。
田渕安一展の最後の部屋、1990年代以降の部屋に至って、田淵の達成した世界が見られる。ドイツの聖女ヒルデガルドの幻視を研究し、ロマネスク建築のアーチを取り入れて田淵の絵が完成する。
田淵は日本ではフジテレビギャラリーが扱っていた。フジテレビギャラリーが閉廊して田淵を扱う画廊がなくなってしまった。現代の日本では田淵安一や野見山曉冶をきちんと扱うことのできる画商がいない。そのことが実は大きな問題ではないだろうか。優れた画家の画業をぜひ見てほしい。私は8月16日の土曜日に行ったのだったが、観客は驚くほどしかいなかった。隣の鎌倉八幡宮に参拝している観光客は参道に溢れていたのに。
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田淵安一展
2014年7月5日(土)―9月15日(月・祝)
9:30―17:00(月曜日休館)
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神奈川県立近代美術館 鎌倉
神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-53
電話0467-22-5000
http://www.moma.pref.kanagawa.jp
※葉山館ではなく鎌倉館なので注意
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