小島政二郎の「円朝」という名伝記がなぜ書かれたか

 小島政二郎円朝」(河出文庫)は明治の落語の大名人三遊亭円朝の伝記だ。とても良い伝記で非常に詳しい。どうして? と思ったが、最初にこう書いてあった。

 私の祖父は利八と言って、寛永寺お出入りの大工の棟梁だった。(中略)私がまがりなりにも、名人円朝の人情話をおぼろげながら知っているのも、この祖父のお陰だ。
 そればかりでなく、祖父は円朝と幼友だちで、寺子屋が一緒だった。祖父は上野山下に近い下谷町で生まれ、円朝は、不忍の池の向こう、湯島切通し下の根性院という寺の近くで生まれた。二人はお互いに山口という寺子屋に通って大きくなった。

 話が面白くてそんなことも忘れて読み進むと、上巻の半ばあたりで利八が藤の花見で見知らぬ娘を見初めて恋煩いになる。円朝がその娘を捜し当てるが、利八も一人息子、娘(宝来家のおしづ)も一人娘だった。何とか骨を折って、子供が生まれたら一人を娘の家の跡取りにすることで結婚が決まった。その時唐突に作者が顔を出す。

 ふいに話が飛ぶが、利八とおしづの間には男の子が一人しか生まれなかった。それで、孫の生まれるまで待って、私が宝来家を次ぐことになり、おまさ(おしづの家の女隠居)の名をもらって政二郎と名付けられた。
 そんなことは、どうでもいい。

 そんな因縁でこの名伝記が生まれたのだった。