『自選 谷川俊太郎詩集』を読む

 『自選 谷川俊太郎詩集』(岩波文庫)を読む。谷川は1931年生まれの天才詩人で、18歳のときに三好達治の推薦で『文学界』に詩が掲載され、20歳で処女詩集『二十億光年の孤独』が創元社から刊行される。以後現在までに60冊以上の詩集を刊行している。
 巧い詩人で、日常の言葉が詩になり、詩論も詩で書かれる。sexも詩に書かれる。そのsexを読んだ詩。

ああ
あああ
ああああ声が出ちゃう
私じゃない
でも声が出ちゃう
どこから出てくるのかわからない
私からだじゅう笛みたいになってる
(後略)

 私は高校の教科書で「二十億光年の孤独」を読んだほか、あちこちで谷川の詩を目にしてきた。朝日新聞でも谷川の詩が連載されている。でも本書を読むまできちんと谷川の詩集を読んだことがなかった。ただ1冊だけ『はだか』(筑摩書房)を読んでいるが。その中の「おじいちゃん」を紹介する。

おじいちゃんはとてもゆっくりとうごく
はこをたなにおきおえたあとも
りょうてがはこのよこにのこっている
しばらくしてそのてがおりてきて
からだのわきにたれる
そのままじっとたっているおじいちゃんは
きゅうになにかをさけびだしそうにみえる
にわのかしのきがまどから
おじいちゃんをのぞきこんでいる
かしのきがいっていることが
おじいちゃんにはきこえているのに
きこえないふりをしているみたい
きのうおふろばでおじいちゃんをみた
ちぢこまったおちんちんがみえた
おじいちゃんおじいちゃんおしえて
むかしのことじゃなくていまのきもち
いまいちばんなにがほしいの
いまいちばんだれがすきなの

 つぎに「はだか」の前半部、

ひとりでるすばんをしていたひるま
きゅうにはだかになりたくなった
あたまからふくをぬいで
したぎもぬいでぱんてぃもぬいで
くつしたもぬいだ
よるおふろにはいるときとぜんぜんちがう
すごくむねがどきどきして
さむくないのにうでとももに
さむいぼがたっている
(後略)

 「おとうさん」の全文。

だれのかおもみずにおとうさんは
まっすぐまえをみてごはんをたべている
ごはんのゆげでめがねがくもっているので
おとうとがそういったら
うんとこたえてめがねをしゃつのすそでふいた
おとうさんがなにをかんがえているのか
わたしにはわからないけれど
わたしのことではないとおもう
おとうとのことでもおかあさんのことでもない
なにをかんがえているのときけば
べつにというにきまっている
まえにおとうさんのこどものころのしゃしんをみた
ひろいのはらのまんなかにたって
まぶしそうにそらをみあげていた
いまでもときどきにたようなかおをする
おとうさんのはしがさといもをつまんだ
くちをあけたらおくのきんばがみえた
おとうさんずうっといきていて

 この『はだか』の中の詩の何編かをテキストにして、武満徹が『系図』と題するきわめて美しい曲を作った。詩は歌われるのではなく、少女による朗読となっている。なお、自選詩集には上記の3篇は収録されていない。
 自選詩集のなかで私が好きな作品は「あなたはそこに」だ。その後半部分を、

あなたは私に愚痴をこぼしてくれた
私の自慢話を聞いてくれた 日々は過ぎ
あなたは私の娘の誕生日にオルゴールを送ってくれ
私はあなたの夫のキープしたウィスキーを飲み
私の妻はいつもあなたにやきもちをやき
私たちは友だちだった


本当に出会った者に別れはこない
あなたはまだそこにいる
目をみはり私をみつめ くり返し私に語りかける
あなたとの思い出が私を生かす
早すぎたあなたの死すら私を生かす
初めてあなたを見た日からこんなに時が過ぎた今も

 谷川俊太郎は優れた詩人だ。そうでありながら、多少の不満が残る。それはなぜか。谷川の詩は日常的であって、社会的な思想性に乏しい。そのことは田村隆一鮎川信夫吉本隆明に比べればよく分かる。パウル・ツェランに比べるまでもなく。
 本書の解説を32ページにわたって山口馨が書いている。それは半ば伝記、半ば詩の外題でもある。いつか将来、山口がきちんとした谷川の評伝を書いてくれることを望む。
 詩集は売れないとは言われながら、本書は発行2カ月ですでに5刷となっていた。さすが谷川俊太郎


自選 谷川俊太郎詩集 (岩波文庫)

自選 谷川俊太郎詩集 (岩波文庫)

はだか―谷川俊太郎詩集

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