池澤夏樹のエッセイ「詩のなぐさめ」を読む

 池澤夏樹岩波書店のPR誌『図書』に「誌のなぐさめ」と題するエッセイを連載している。5月号が「恋人の吐息、あるいはライト・ヴァースへの誘い」というタイトルだった。
 池澤はここで岩波文庫の新刊『辻征夫詩集』を取り上げている。『図書』が岩波書店のPR誌だから、広告戦略としての編集部の意向に添っているだろう。池澤は何と言っているか。
 まず辻の詩「婚約」を取り上げる。それに並べて池澤の詩「酸素」を紹介する。池澤が「これを書いた時は辻さんの詩を知らなかった。でも確かに通底するものがある」と書くとおり、よく似ている。次に辻の詩「昼の月」(紙面の関係から第3聯だけ)を取り上げる。

 ぼく(池澤)が紙面の都合から略してしまった今の「昼の月」の1聯に「きみの姿勢は だれが見ても/お行儀がいいとはいえないが/気にしないで眠りなさい」というところがあって、この優しい命令形が彼の別の、恋人ではなく娘に宛てた命令形の詩にぼくを向かわせる−−


  桃の節句に次女に訓辞

 なくときは
 くちあいて
 はんかちもって
 なきなさい
 こどもながらによういがいいと
 ほめるおじさん
 いるかもしれない
 べくはべつだんほめないからね


 ねむるときは
 めをとじて
 ちゃんといきして
 ねむりなさい
 こどもながらによくねていると
 ほめるおじさん
 いるわけないけど
 とにかくよるは
 ねむりなさい


 飛び石づたいの原理でこの先には岩田宏のこの詩が来る−−


  吾子に免許皆伝


 あこよ あこよ
 大きな声じゃ言えないが
 としよりにだけは気を許すな
 としよりと風呂に入るな あこ
 アコーデオンを弾くな 敵は音痴だ
 恩知らずといくら罵られようとも
 としよりとは口きくな 言い負かされると
 あいつら必ず暴力だ そのむこうは
 あやめも咲かぬ真の闇で そこが世界の
 どまんなかだ あこよ。


「あやめも咲かぬ」って、ほんとは「文目(あやめ)も分かぬ」でしょう、岩田さん。そうやって人をひっかけるところがお人が悪い。

 池澤はこの後自作の詩「深夜の電話」を紹介して最後としている。その詩は寝相が悪い2歳の子供の足の裏が、「午前3時/たまたまその足の裏が/こちらの耳に押し当てられる/受話器のように」という楽しいものだ。
 さて、池澤は辻の詩から連想される岩田宏や自分の詩を並べている。それを読むと、やはり辻の詩を双手を挙げて賞賛することが難しいのだろうなと想像してしまう。これって我田引水だろうか?


『辻征夫詩集』を読んで(2015年4月18日)


辻征夫詩集 (岩波文庫)

辻征夫詩集 (岩波文庫)