小山登美夫ギャラリーの成功の秘密

 小山登美夫ギャラリーの小山さんは独立して10年くらいで成功された。その秘密は何か。村上隆奈良美智と出会ったことだ。しかし他のギャラリーの人たちはなぜ村上や奈良を見逃してしまったのか。ひとり小山さんだけが彼らに注目したのは、アメリカのアートシーンの動向を知っていたからかもしれない。そうかも知れないが、私はもう一つの要因を見ている。それは小山さんが始め西村画廊に勤めたことと関係があると思うのだ。
 バブルの頃の東京の一流の現代美術の画廊と言えば、東京画廊、佐谷画廊、ギャラリー上田、南天子画廊、愛宕山画廊、フジテレビギャラリー、それにこの西村画廊あたりだろうか。当時から西村画廊だけはほかと少し違っていた。扱う画家の傾向が現代美術でも具象系だった。今でも西村の画家は、舟越桂、小林孝宣、押江千衣子、町田久美、鴫剛、三沢厚彦などだ。ここで大きな影響を受けたと考えれば、村上隆奈良美智を早くに注目した理由が分かるのではないか。
 もし小山さんが、最初に東京画廊南天子画廊、フジテレビギャラリーに入っていれば、今日の小山登美夫ギャラリーの成功はなかったのではないか。
 いつの時代もどこの世界でも抽象は売れなくて具象が売れるのだ。アメリカだって抽象表現主義は売れなかったが、ポップアートが出現してたくさん売れたのだ。