ブータンの学僧ロポン・ペマラの突然の読経

 今枝由郎「ブータンに魅せられて」(岩波新書)に興味深いエピソードが紹介されている。ロポン・ペマラはブータン国立図書館長でブータンでも屈指の学僧だ。

 1975年にロポン・ペマラが初めてアメリカに旅行した時のことである。(中略)ロポン・ペマラはかれ(ブータン人留学生ウギェン・ツェリン)を訪ねてバークレーに足を運んだ。そこで、同大学で東南アジア部門を担当しているL ランカスター教授が、一日ロポン・ペマラを車でバークレー近郊に案内することになった。
 バークレーを離れて少し郊外に出たところで、ロポン・ペマラは急に車を止めてくれ、と言いだした。ランカスター教授が車を止めると、ロポン・ペマラは車から降り、道端に座り込んでしまった。最初ランカスター教授は、ロポン・ペマラは車に慣れていないので、車酔いでもして気分が悪くなったのだろう、くらいにしか思わなかった。言葉も全く通じないので、とにかくロポン・ペマラをそっとしておくほかなかった。ところがロポン・ペマラは、決して気分が悪そうな様子ではなく、しばらくの沈黙のあと、おもむろに呪文を唱えはじめ、読経を続けながら瞑想にふけり込んでしまった。
 ランカスター教授は、理由も全くわからず呆気にとられた。しかしロポン・ペマラの雰囲気に何か感じるところがあって、とにかく待つことにした。1時間余りして、ロポン・ペマラは車に戻ってきたが、お互いに意思の疎通ができないので、ランカスター教授はどうしてロポン・ペマラが突然こんな振舞いをしたのか全く見当も付かなかった。このことが気になり、その日はドライブを中止して、そのままバークレーに戻ることにした。そしてウギェン・ツェリンを介してロポン・ペマラに道端での突然の読経の理由を問い尋ねると、次のような説明が返ってきた。
 車であの場所にさしかかると、一群の亡霊が訴えるように現われた。ロポン・ペマラは、この一群の怨霊が誰の亡霊なのかはわからなかったが、この哀れな亡霊をそのまま放っておいて立ち去るのは忍びなかった。そこで、許された時間で可能な限りこの怨霊を慰めようと、読経をして供養することにした、というのである。あまりにも唐突なことで、ランカスター教授はその日はそのまま家に帰った。
 翌日ランカスター教授は、図書館でバークレー地方の歴史を調べて唖然とした。ロポン・ペマラが車を降りて読経したところは、まさにアメリカ・インディアンの大虐殺が行われた場所だったからである。

 これと同じ体験が遠藤誉「・子(チャーズ)ー中国革命をくぐり抜けた日本人少女」(文春文庫)に書かれている。(タイトルの「・」で示した文字は「上」と「下」を合体した漢字)
 積み上げられた多くの死体が深夜うなり声を発しており、主人公の少女の父親が読経するとその声が止んだ。これはノンフィクションであり、作り上げたお話ではない。辛い読書だった記憶がある。
 山崎豊子大地の子」が遠藤誉のこの本から盗用しているとして遠藤から訴えられたことも当時話題になった。