万年筆が高くなったのはしかたない

 中学生の時、従兄に万年筆をもらった。それ以来筆記具は万年筆だった。授業で鉛筆を使ったのと、会社に入って複写式の伝票などにボールペンを使った以外は。パイロット、セーラー、パーカー、いろいろ使ったがほとんどもらい物か拾ったものだった。
 勤めていた会社が創立35周年記念パーティーを開いたとき、勤続20年ということで結構高いモンブランの万年筆をもらった。数万円したと思う。私が一番の永年勤続者だったから。その万年筆は私が最も尊敬する人、本当のインテリの義父に進呈した。
 しかし自分でもモンブランがほしくなって分相応に一番安いのを買った。自分で買った初めての万年筆だった。1万円前後したのではなかったか。野見山暁治さんを真似て青いインクを入れた。パーカーのロイヤルブルーだ。
 その後モンブランは何度も買った。失くしたり、落としてペン先をダメにしたりして。買い換えるたびに一番安いモンブランがどんどん値上がりしていった。ついに最低価格が1万数千円になった。こんなに高いのは買えない、日本橋丸善でそう言って、もうパーカーにすると宣言したら女店員に笑われた。彼女曰く、モンブランを使っているお客様はパーカーは使えません。逆も同じです。そのとおりだった。パーカーのペン先は硬すぎた。パーカー愛用者がモンブランを使ったら、こんなぐにゃぐにゃした万年筆は使えないと言うだろう。
 娘が高校に入学したとき記念に万年筆を買ってやろうかと言ったら、そんなもの何に使うの、いらないと言われた。彼女はふだんシャープペンシルを使っていた。
 数年前書痙になって、その万年筆が使えなくなった。まあ、もうほとんどキーボードが筆記具代わりになっているのだが。それでも画廊を回るときのサインは万年筆にこだわっている。十数年間で3万回のサインをしてきたのだから。
 娘のように若者が万年筆に興味を持たなくなったのだから、万年筆はもうマニアのものになってしまったのだ、ライカのように。高くなったのもしかたない。