須藤靖『主役はダーク』という怪しい本

 須藤靖『主役はダーク』(毎日新聞社)というちょっと怪しい本を読む。副題が「宇宙究極の謎に迫る」というもの。朝日新聞川端裕人が書評を書いていた(6月30日)。

『主役はダーク』は破格の科学エッセイだ。最新の天文学、宇宙物理学を独特の諧謔を交えて語る。
 宇宙は膨張しており、物質は希薄になっていくはずなのに、我々の世界(例えば地球)が物質に満ちているのは、ダークマターのおかげらしい。いまだ直接観測されていないが宇宙の22%を占め、局所的な密度を上げるのに貢献しているという。一方ダークエネルギーはさらに圧倒的で宇宙の74%!
 万有引力ではなく、互いに反発する斥力を働かせ、宇宙が一貫して膨張する性質を与えてきた。どちらも物理学で真面目に議論される有力仮説だ。
 ともすれば難しくなりそうなテーマだが「最近の世の中は何か暗い」の一文で始まり、国家予算の赤字やら大学生の就職率について嘆きつつ、気づけば宇宙のど真ん中に誘われている。爆笑、苦笑と科学が隣り合わせる筆さばきだ。

 私は須藤の単行本を読んだことはなかったが、東京大学出版会のPR誌『UP』に不定期に連載されている須藤の科学エッセイ「注文(ちゅうぶん)の多い雑文」のファンなのだ。これは脱線が多く、異常に多い注がおもしろく、視点がユニークな、『UP』らしくないエッセイなのだ。
 本書は毎日新聞社発行の雑誌『本の時間』に連載されたものだという。それで『UP』以上にくだけた内容だ。第12章「宇宙の主役:ダークエネルギー」の冒頭を引く。

 いよいよ宇宙の主役について語る日がやって来た。思えば長い道のりであった。A long and winding roadジャジャーン♪という音楽が頭のなかで響き渡る(恐らく幻聴であろう)。ある意味では本書の山場の一つである。どうか心して読んで頂きたい。正座して熱いお茶を一杯飲んでから、あるいは仏壇の前でご先祖様にこれまでの幸せな人生を報告し御礼を伝えてから、おもむろに読み始めて頂くならば、必ずや他では得難い悦楽が訪れることであろう。

 毎日新聞の雑誌のせいか、ちょっとくだけすぎのきらいがある。悦楽っていう言葉は、昔大島渚が映画のタイトルに使って、御上から卑猥として注意を受けたことがあったのではなかったか。い、いや、そんな過激な内容ではないが。
 あとがきから、「(……若い頃にしか吸収できない膨大な知識はその時に詰め込んでおくべきである。それらのどれをじっくりと深めていくかは、自分の興味に応じて後でじっくり考えれば良い。……)」として、

 このような観点から、私が少しは説明できる、クォークレプトン、宇宙の(加速)膨張、ダークマターダークエネルギー太陽系外惑星人間原理マルチバース多世界解釈超ひも理論、などを紹介してきた。いずれも決して易しい概念ではないが(特に最後のヒモについては私自身よく理解できていないことは再三告白してきた通りである)、それぞれの章を繰り返し読んで頂ければ、その意味のみならず、なぜそう考えられているのかが徐々に感じられるものと期待している。

 一般向けにくだけた内容の宇宙論だと思えばいいだろう。てか、むしろくだけ過ぎの印象が強く、内容としても少々物足りなかった。
 須藤は1958年生まれ、「私がパソコン用に初めて使ったハードディスクは10メガバイトしかないにもかかわらず40万円もした」と書く。須藤より10歳年上の私が初めて買ったMacのノートパソコン「ブラックバード」は内蔵ハードディスクがたったの300キロバイトで、それなのにMOドライブやフロッピーディスクドライブ、モノクロプリンターなど周辺機器にソフトを含めて60万円もした。当時、従兄弟が外付け10メガのハードディスクを買ったときいて、ロッカーに収めていた私物を入れるために体育館を購入したようなものじゃないかと呆れたことを思い出す。何しろ1メガ10万円と言われた時代がちょっと前だったのだ。
 期待の大きかった本書は少々ハズレだったが、先の書評で川端が「怒り心頭の物理学者が科学哲学者と大激論」と紹介しているもう1冊の須藤靖・伊勢田哲治『科学を語るとはどういうことか』(河出ブックス)を読んでみよう。


須藤靖のエッセイ「不ケータイという不見識」がおもしろい(2013年1月4日)
冷凍うどんを推薦する(2012年1月6日)


主役はダーク 宇宙の究極の謎に迫る

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