大胆な会話をしたのだった

 数年前、娘に聞いた。なんでお前には男友達がいないの? 私がまだ発情してないから、というのが彼女の答えだった。
 そのことをある女性に話すと「さすが××さんの娘さんですね、自分が発情したら男ができると思っている。私は(大学を卒業して)会社に入って3年だけどまだ男ができないんです。せめて三月(みつき)に1度やれればいいのに」もちろん酒の席の会話だった。私が何と返事をしたか、もう憶えていない。
 これはさらに昔の話だが、女性デザイナーと二人だけで深夜まで仕事をしていた。不意に彼女が、私この前渋谷を歩いていたときナンパされて、それでやっちゃったんですよ。その後お互いに名前を言わなくて別れたんですけど。
 ああ、それってよくあるよね。あるわけがない。一度もない。私は優しいのだ。とっさに相手の負担を軽減しようとする。後日彼女が、××さんてスケベだけど口だけね、と言っていると聞いた。
 この娘は賢い優秀なデザイナーで気に入っていた。ボードリヤールの「消費社会の神話と構造」を貸したら、1週間で2回読んだと言って返してきて、これが本当なら私たち(デザイナー)はいらないですよね、と感想を言った。
 それから10年ほど経って、さらに別の女性の話。彼女は白人の血が1/4くらい入っていそうな美人だ。話をしながらいつも、この娘って本当にきれいな顔をしていると思っていた。だけどなぜか興味がわかないのも不思議だった。その娘が言っていたと人づてに聞いた。××さんてスケベなのに口だけなのよね。
 それって、ちょっと悔しい。しかし、確かに表象はそう見えるかもしれない。表象と本質は違うのではないか。ここでサルトル存在と無」から引用する。

(前略)そういうわけで結局、われわれは現われ(表象)と本質の二元論を、同様に拒否することができる。現われは本質を隠しているのではない。それは本質を顕示しているのである。現われが本質なのである。或る存在者の本質は、もはやこの存在者の奥にひそんでいる一つの能力ではない。それは、この存在者のもろもろの現われの継起を支配している公然たる法則であり、その連鎖の道理なのである。