堀田百合子『ただの文士 父、堀田善衛のこと』を読む

 堀田百合子『ただの文士 父、堀田善衛のこと』(岩波書店)を読む。堀田善衛の娘が父のことを書いている。とても気持ちの良い読書だった。著者堀田百合子のことは長谷川康夫の『つかこうへい正伝1968−1982』(新潮社)で知った。つかは堀田百合子と慶応大学で同級生で、彼女のことが好きだった。百合子は長谷川につかのことを問われて、「ボーイフレンドの一人かな」と答えている。さらに、彼女はつかについて、「ほら、彼って利にさといでしょう」と言ってのける。
 堀田善衛富山県の廻船問屋の息子だった。一族郎党は100人を数えたという。生涯学校も含めてほとんど会社勤めをしたことがなかった。文筆だけで食べていたようだが実家の資産も大きかったのだろう。百合子の文章は穏やかで上品だ。つかが惚れたのだから綺麗な女性で上品なお嬢様だったのだろう。つかが相手にされなかったのもよく分かる。
 百合子は作家である父のことを娘という視点から書いている。父の文学的評価には立ち入らないで、娘だから書けることに限定して堀田善衛の日常を教えてくれる。それはとても気持ちの良い記載だった。ゴヤ論が完成したときのことを紹介したところで、思わずもらい泣きしそうになった。
 晩年も妻と二人でスペインに10年ほど住んで『定家明月記私抄』などを書いた。娘は何度も日本とスペインを往復して父を助けている。理想的な家族関係が綴られる。
 気持ちよく読み終わって「おわりに」まできて驚いた。

 書きたかったことも、書けなかったこともありました。書かなかったこともあります。楽屋話の嫌いな父でした。楽屋裏のそのまた裏は、書かないことにいたしました。ご勘弁ください。

 これは納得した。しかし、次のくだりに驚いたのだった。

 この稿に登場しなかった家族、兄がいます。学生時代に父の仕事の手伝いに来て以来、わが家に寄宿し、その後父母と養子縁組をし、私の兄となった人です。勤めの傍ら、父の仕事を手伝い、ある意味父の黒子に徹した人でした。父の著作の中には、兄がいなければ出来上がらなかった作品もありました。亡き兄・佐久夫の存在があったからこそ、私は自由でした。
 夫・松尾俊之に感謝の意を表したいと思います。父の回想などという大仕事に七転八倒する私を、傍で黙って見守ってくれました。

 百合子には兄もいたし夫もいる。それらが本書からは全く消されている。養子に対して堀田善衛はどう考えていたのか。娘の結婚についてどんな気持ちでいたのか。嬉しかったのか、我慢したのか。すると書かれなかったことが数多くあるのだろう。最後になって少し不満が生じたのだった。


ただの文士――父,堀田善衞のこと

ただの文士――父,堀田善衞のこと