ツバメの子殺し



 マンションの玄関前にツバメの雛が落ちていた。当然もう死んでいる。3年ほど前にも同じことを体験して調べたので知っている。これはツバメの子殺しだ。「バードリサーチ ツバメ図鑑」に子殺しについて次のような解説がある。

 

ツバメの巣は無傷のまま、中の卵や雛が消えてしまうことがあります。ヘビ、ツミ、モズ、イソヒヨドリなどがヒナや卵をさらうこともありますが、その巣の親とは別のツバメがヒナを巣の外に捨てているケースが少なくありません。この行動を「ツバメの子殺し」と言います。

子殺しは、結婚相手の見つからないオスが、すでにペアになっているメスを奪おうとするために起こります。独身オスは、子育て中のペアのオスとケンカをして追い払い、その巣にいるヒナや卵をくちばしにくわえて巣の外に放り出します。巣が空になるとメスが再び発情するので、そのときメスと交尾して、自分の子孫を残します。子殺しはツバメだけでなく、いろいろな鳥類と哺乳類に見られる行動です。

https://sites.google.com/view/tsubame-map/tsubame-zukan/kogoroshi

 

 そう言えばライオンでも、プライド(群れ)を乗っ取ったオスは子供たちを噛み殺すことが知られている。やはり子を失ったメスがそれによって発情するためだ。

 ツバメの殺された雛に戻る。幼い雛はその親の死に比べて辛さは少ないのではないか。幼い雛には生の歴史がほとんどないからだ。つらいのは親の方である違いない。しかし、当のメス親はまた早々に産卵するから人間の感情を安易に類推するべきではないのかもしれない。

 では人間はどうか。幼い頃の死はやはり当人にとってその悲劇性は少ないのではないか。それに対して大人の死は彼彼女の人生の歴史から悲劇だと言い得るのだろう。

 しかし、私は死で本当につらいのは残された者たちだと思う。残された生者は失った家族友人知人を嘆くための苦渋の日々が実に長く未来に続いているのだ。それに比べれば死者本人の辛さは言われるほど大きくはないと思う。そもそも死そのものは実にありふれていて、過去誰もが経験してきたことなのだ。死んでしまえば苦しさも反省も何もないだろう。むしろ真の安息が得られたというべきなのではないか。