美しい舌の青い蛇、関龍夫という画家がいた

mmpolo2007-09-20




 田村隆一の「恐怖の研究」という長い詩に下記のような一節がある。

信州上川路の開善寺の境内で
僕は一匹の純粋な青い蛇を見た
ふるえる舌
美しい舌

 開善寺は古刹で庭が美しく、宮本武蔵の書がある。その一角に住んでいたのが関龍夫さんという老画家だ。もちろん田村隆一は関さんに会っている。
 田村隆一のエッセイ集「詩人の旅」(中公文庫)から。

 (開善寺の)裏庭から、本堂の回廊を歩いて、山門の方に行ってみよう。しだれ桜や松の巨木のあいだをぬって、やっと根のついたばかりの、か細い白樺の木をながめ、鐘つき堂の下から、真昼の境内をゆっくり歩いていこう。開善寺のほとりに住む無欲にして高潔なる老画伯の、まるで庵室のようなアトリエへ行ってみよう。ザクロがころがり、モズが一緒に暮しているアトリエ。それから老画伯と二人で、桑畠のあいだをぬい、薄暗い竹林をさまよい、小高い丘の上にのぼっていこう。シダや、ススキがはえている丘の上から、秋の伊那谷をながめてみよう。わたしたちの視線は、時又の天竜橋をわたり、美しい段丘に散在している、対岸の竜江の村落をつたわるだろう。「あれが仙丈です」ーー白髪の老画伯が、南アルプスの一角を指さすだろう。「秋が深くなると、あの山が紫色にかわるのです。ま、そのころまでいるのですな、ハッハハハ」

 関さんは油彩を使って墨絵を再現していた。墨絵の白い空間に替えてそれを黒く塗りつぶしていた。黒の色面の一隅に皿とか柿とか雀とかを描いていた。何度か東京銀座の兜屋画廊で個展をした。まだ兜屋画廊がまともな画廊だった頃だ。1962年の同画廊での個展に井上長三郎や児島善三郎が推薦文を寄せている。
 穏やかなお爺さんだった。さすがの山本弘も一目置いていた。
 関さんは戦前東宝映画の美術を担当していたそうだ。最初の奥さんは書家比田井天来の娘だったが離婚した。その縁で一時期比田井天来に師事したようだ。再婚した奥さんを愛していた。その奥さんが病死した後、自宅が焼けて関さんも亡くなった。1985年4月、86歳だった。
 飯田市の健和会病院に関さんのみごとなあけびの絵がある。
 私が20歳の時、対等に口をきいてくれた初めての大人だった。「ぼくはこの頃やっと黒が色に見えるんだ」と。その時の感激を今も忘れない。白内障だかでいつも濃い色のサングラスをかけていた。そのまま展覧会で絵を見ていた。もちろん誰も何も言わなかった。
 写真は、関龍夫「鼻糞をほじくる男」