仲正昌樹「集中講義!日本の現代思想」(NHKブックス)がすごい

mmpolo2007-01-08




 まず目次から示すと、

序 かつて、「現代思想」というものがあった
Ⅰ 空回りしたマルクス主義
 第一講 現実離れの戦後マルクス主義
 第二講 大衆社会サヨク思想
Ⅱ 生産から消費へーー「現代思想」の背景
 第三講 ポストモダンの社会的条件
 第四講 近代知の限界ーー構造主義からポスト構造主義
Ⅲ 80年代に何が起きたのか
 第五講 日本版「現代思想」の誕生
 第六講 「ニュー・アカデミズム」の広がり
Ⅳ 「現代思想」の左転回
 第七講 なぜ「現代思想」は「終焉」したのか
 第八講 カンタン化する「現代思想


 この内とくに戦後思想史分析が秀逸だ。第一講から第二講だ。ここでは第二講から一部抄録する。

 吉本隆明は、早い時期からマルクス主義の言語によって「大衆」をつかむことの困難を指摘していた。(…)安保闘争の総括の書として60年に出した論文「擬制の終焉」では、日本社会に実態として根付いていない「民主主義」や「市民社会」などといった擬制(フィクション)を無理やり大衆に押し付け、導こうとする共産党流の前衛思想の独善性を厳しく批判した。
 従来のマルクス主義の硬直化した公式主義を批判している点では、吉本は丸山真男と共同歩調を取っているようにも見えるが、「丸山真男論」で、丸山の現実離れした理性中心主義的な発想をかなり辛辣に皮肉っている。吉本に言わせれば、エリート学者である丸山は、ブルジョワ民主主義によって、”大衆”の抱えている課題が解決するかのような語り方をしており、現実に生きている「大衆」それ自体を見ようとしていない。丸山は、戦前における天皇制を中心とした超国家主義的な論理の膨張を、西欧的な意味での「近代国家」形成過程で起こった過渡的な現象としてしか捉えていないが、吉本は、天皇イデオロギーを理解するには、「大衆の存在様式の民俗的な部分」に注目する必要があると指摘する。
 丸山が問題にしているような西洋近代的な意味での「国家」は、「擬制」にすぎないが、その根底には、大衆が希求している「幻想の共同性」がある。「国家」というのはもともと、民俗的な伝統に基づく幻想の共同体として発展してきたものであるが、マルクス主義を含めて近代の政治思想は、資本主義的な近代国家の機能的な部分にだけ注目してきたので、超国家主義的なイデオロギーが、大衆の土着的な生活様式に支えられていることをきちんと洞察できない、というのである。


吉本隆明の立ち位置
 65年に執筆した「自立の思想的拠点」で吉本は、講座派/労農派以来の日本のマルクス主義における階級闘争史観的な「天皇制国家」観を否定して、「天皇制国家」の本質を宗教という視点から把握すべきことを提唱している。

 日本の古典マルクス主義によってとらえられた天皇制国家は、当然ながら、世襲的な祭司であり、儀礼主宰者であり、原始シャーマン的宗教信仰の対象であることによって、近代思想として思想的強力でありえた天皇制国家の理念権力としての強大さと特殊さをとらえることができなかった。それは、宗教・法・国家の古代からの累積された強力を保有することでもちうる権力性を、国家本質内の本質としてとらえる方法をもたなかったからである。
 明治憲法の第一条が「大日本帝国万世一系天皇之ヲ統治ス」とうたったとき、政治的国家としての天皇制は、宗教と法の歴代の累積する思想的強力をも含めた綜合性を意味したのである。この近代日本の国家本質を、たんに、経済社会構成から類比しようとする古典マルクス主義の方法は、何よりもわが国の国家論でもっとも欠陥をあらわにしたということができる。(「自立の思想的拠点」徳間書店

 吉本は「天皇制国家」の分析を掘り下げることによって、エンゲルスレーニンによるマルクス主義的な国家観も否定している。エンゲルスレーニンは、イデオロギー的な上部構造に属する「国家」は、下部構造=生産様式によって規定されているという基本的前提のもとで議論を組み立てている。現在の資本主義的な「国家」は、ブルジョワジーによる階級支配の道具であるので、社会主義革命の実現を通して、生産財の私的所有を廃棄すれば、自ずから解体されるものであるとされていた。ところが、吉本は、幻想の共同体としての国家の本質は、太古からの民俗的・宗教的な心性や生活様式に根ざしているとして、〔唯物史観→下部構造決定論〕的な見方をしりぞけ、国家という大きな幻想に囚われている大衆(民衆)を、理論によって、”解放”することの不可能性を示唆している。
 周知のように、幻想の共同体としての「国家」を実体視するヘーゲル法哲学を批判して、国家の法秩序や規範の背後に、〔労働→所有→生産〕という経済的な問題系を見て取ったことが、マルクス思想の原点である。下部構造である「経済」を変化させることで、上部におけるイデオロギー支配を解体しようとする試みが、社会的実践運動としてのマルクス主義の最大公約数と言ってもいいだろう。したがって、経済的問題系の分析だけでは国家の宗教的本質は見えてこないと断言してしまうのは、旧左翼/新左翼の違いという域を超えて、明らかにマルクス主義そのものからの逸脱である。幻想共同体としての「国家」が、生産様式の変化よりもさらに深いところで、大衆(民衆)の深層意識を規定しているとすれば、(科学的社会主義のそれであれ、新左翼的な疎外革命論のそれであれ)前衛的な言語によるアジテーションによって、彼らを階級的”現実”へ目覚めさせるというマルクス主義の革命論自体が空しくなる。
 66年から67年にかけて雑誌に連載され、全共闘運動が盛り上がっていた68年12月に刊行された、彼の主要著作「共同幻想論」は、そうした脱マルクス的な問題意識の延長線上で書かれたものである。「古事記」や、柳田国男の「遠野物語」を参照しながら、古代世界における共同幻想の生成と、王朝の成立について論じているこの著作を、「新左翼の理論家としての吉本」を知らない現代の読者が読めば、神話学と民俗学をベースにした文芸批評か政治思想の本としか思えないだろうーー私にもそう思える。古代国家の成立を、生産様式の進化と何らかの形で結び付けようとする唯物史観とは、かなり異質な記述の仕方である。吉本の経歴とは関係なく、このテキスト自体から、政治的メッセージを直接的に読み取ろうとすれば、むしろ社会主義革命の不可能性を示唆する保守的な思想が垣間見えるだろう。
 70年代以降の吉本は、階級的利害関係あるいは階級意識に還元されない、太古以来の「共同幻想」の拘束力の強さを強調することで、マルクス主義の性急な革命論をいましめる”大衆に寄り添う”知識人の役割を演じるようになった。そして、そのことによって同時に、”自立した理性の主体=市民たちから構成される市民社会”という近代思想の大前提に根本的に疑問を投げかけ、理性中心主義の解体を目指す「ポストモダン思想」への橋渡し的な役割をも担うようになった。しかし、新左翼の教祖というイメージがかなり後まで持続したおかげで、彼がマルクス主義の大枠から離れていったことは、少なくともマルクス主義的左派や市民派の間ではなかなか認識されなかった。


大衆はなぜ革命を望まないのか
(中略)
 吉本は、既存の国家体制に対する大衆の慣れ・安心感を生み出すもとになっている「共同幻想」の歴史的・宗教的な根深さを強調することで、「大衆」は別に権力者とか独占資本などによって刹那的に”騙されて”現状に満足しているわけではなく、古代王朝以来連綿と続いている幻想の共同体と不可分なまでに同一化しており、幻想の支えなしには生きていけない体質になっているのかもしれないことを暗示したわけである。

 著者は1963年生まれ。われわれは優れた政治思想史学者を得ることができた。