高田里惠子『グロテスクな教養』を読む

 高田里惠子『グロテスクな教養』(ちくま新書)を読む。「教養」はふつうプラスの価値観をまとっているが、ときにマイナスの価値観を込めて語られることもある。表紙裏の惹句から、

「教養とは何か」「教養にはどんな効用があるのか」――。大正教養主義から、80年代のニューアカ、そして、現在の「教養崩壊」まで、えんえんと生産・批判・消費され続ける教養言説の底に潜む悲喜劇的な欲望を、出版社との共犯関係・女性や階級とのかかわりなど、さまざまな側面から映しだす。知的マゾヒズムを刺激しつつ、一風変わった教養主義復権を目指す、ちょっと意地悪で少しさわやかな教養論論!

 先に同じ著者の『文学部をめぐる病い』を読んで、その容赦ない批判に辟易もし、また魅了されたことから続いて読んだ。高田は当然無批判な教養主義を批判する。『君たちはどう生きるか』が取り上げられ、『ビルマの竪琴』の著者竹山道雄が批判され、庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』が丸山眞男的なるものの復権だったと批判される。
 東大教授会で中沢新一助教授採用を否定したこと、それはジャーナリズムで活躍する学者への嫉妬からきているのではないか、と推測する。もともと帝国大学では富国強兵になじまないもの、文学・思想は放り出されたのだった。それら軽視された人文学は出版業と親和的だった。山崎正和が引用される(『「教養の危機」を超えて』)。

 いわば教養とはじつはこのとき〔近代国家の成立時〕制度の外に置かれ、実用性を認められずに資格授与を許されなかった知識だといえる。教養とは制度化された知識の余白にほかならず、逆説的に近代国家によって生み出された私生児だったのである。(中略)こうして制度化に締めだされて成立した教養を救い、たくみに社会的地位を与えたものも揺籃期の大衆社会であった。そのための唯一の方法こそ、ほかならぬ知識の商品化であり市場化だったのである。

 商品化であり市場化とは出版事業だった。ジャーナリズムとも言い換えられる。
「あとがき」で高田が書いている。「もし、教養や教養主義にたいする筆者の態度がいま一つ明確でない、批判なのか擁護なのかよく分からない、と感じられるとしたら、それは、人間をその複雑さのままに示してみたいという本書の願いから来ている。教養は、もちろん、この人間の複雑さと切りはなしては考えられない」と。
 複雑で興味深い教養論だった。


グロテスクな教養 (ちくま新書(539))

グロテスクな教養 (ちくま新書(539))