信原幸弘・渡辺正峰『意識はどこからやってくるのか』(ハヤカワ新書)を読む。心の哲学が専門の信原と神経科学が専門の渡辺との対談。
渡辺は脳の機能に意識が宿ると考えて、人間が死を迎えても、その意識を機械に移行させれば生き続けることができると考える。機械を更新し続ければ意識はほとんど無限に生き続けるという考え方だ。その前提として人の意識は機械に移行することができると考えている。
もちろんそれは簡単にできることではない。1970年生まれの渡辺が、自分が死ぬ間際に可能になればと願っていて、そうなれば意識を機械に移行させたいと言う。機械というのはマシンの処理速度やサーバー容量などが発展したコンピューターだ。
意識を機械にアップロードすると言っているが、それは意識、無意識を含む脳の情報処理のすべてを機械に移すことで、その機械に意識が宿ることを期待するものだと言う。
渡辺は脳梁を切断された分離脳の隙間にBMIを挟み込み、それを介して生体の脳半球と機械の脳半球を結ぶという。その意識が湧いた機械を作って視覚的意識を確かめるところまでなら10年くらいでできるのではないかと渡辺は言う。
渡辺が意識を機械にアップロードして永遠の意識を得たいと考えるのを、死が怖いからだと言う。
(……)僕という」意識を持つ存在が、この世界から永遠になくなってしまうとは、いったいどういうことなのか。その瞬間を想像すると、何とも言えないざわざわした気持ちになります。理屈では説明できない本能的な恐怖を感じます。
信原も意識を機械に移行することは可能だろうと賛成する。しかし、信原はそれが可能になってもその試みには参加しないと言う。
私は意識を機械に移行することは可能だとは思うけれど、そもそも不死を求めることは意味があるとは思えない。寿命がきたら死ぬのが当然だと思う。それが生物なのだから。生物と不死は本来矛盾する概念なのではないか。
