発想はどこから来るか

 横尾忠則『創造&老年』(SBクリエイティブ)に次のような横尾の発言がある。

 

 あのね、直感が浮かんできたりすることがあるじゃないですか? 普段の自分では想像もできないような面白いことや不思議なことが、ある時突然、浮かんでくる。それはどこから来るかといえば、結局、自分の体の中からなんです。外から情報として仕入れた知識なんて、大したものではないのです。百年近く生きたからといって、その間に手に入れることができる知識なんて、たぶんチョボチョボですよ。そんなものに頼るよりも、初めから自分の中にあるもの、あるいは自然や宇宙に遍在している力を自分の体をツールとして受け取り、それを実践すればいい。そのために直観を受信しやすい身体の状態が必要でしょうね。論理や理屈や思考から離れて、孤独になることも必要じゃないかと思います。

 しかし、そういう感覚は、学校では教えてくれないものです。

 

 これを読んで思い出したことがある。以前読んだ信原幸弘『考える脳・考えない脳』(講談社現代新書)に、脳は反射を蓄積するだけで考えないとあった。考えるのは3つの条件の場合だけ。人と対話するとき、文章を書くとき、自問自答するときだ。例えば計算するときも紙に書くか頭の中で数字やソロバンを思い浮かべている。意識的に考えないと脳は考えないのだ。ただ反射によってデータを蓄積する。蓄積したデータが、意識化されない脳の中で整理されて、横尾の言う「普段の自分では想像もできないような面白いことや不思議なことが、ある時突然、浮かんでくる」ことになる。「外から情報として仕入れた知識なんて、大したものではない」のではなく、それらのデータが脳の奥で発酵されて出てきているのだ。

 私は30年以上毎年2,000件の個展を見てきた。すると、それらのデータが蓄積されて、現在の生意気な私の意見が生まれてきたと考えられる。データの蓄積が大事なのだ。