広中一成『七三一部隊の日中戦争』(PHP新書)を読む。副題が「敵も味方も苦しめた細菌戦」。袖の惹句から、
日中戦争のさなか、人体実験や細菌兵器の開発と製造に携わったとされる関東軍防疫給水部、通称七三一部隊。組織の中心にいたのは、部隊長・石井四郎を筆頭とした、日本を代表するエリートたちだった。また細菌戦は満洲の七三一部隊だけではなく、他の4つの部隊でも実行された。日中戦争史の専門家が、陸軍参謀本部の視点や作戦史も踏まえながら、細菌戦の知られざる実態に迫る。
この4つの部隊とは、北京の甲1855部隊、南京の栄1644部隊、広州の波8604部隊、シンガポールの威9420部隊だ。防疫給水部は本来防疫給水を本務としたが、その裏で細菌兵器の開発やそれを使った細菌戦を行った。
もとはソ連との戦争を想定して細菌戦を計画したものだったという。七三一部隊は満洲を拠点とした関東軍の一部隊で、中国戦線に出動することはできない。4つの部隊も支那派遣軍および南方軍の部隊で、直属の軍総司令部からの命令がないと何もできない。
つまり、七三一部隊及び4つの細菌戦部隊の行動は軍総司令部の命令をうけていたと広中は書く。悪名高い石井四郎の独断ではなかった。
元来ソ連を想定していた細菌戦が中国戦線で使われたのは、日本軍が中国軍に手こずり、さらに太平洋戦争の開戦で、兵隊や武器弾薬が不足してその穴埋めに細菌戦に頼らざるを得なかったことによる。
細菌戦は味方にも被害を与え、それがために石井四郎は一時更迭されることになる。しかし、戦局が日本に不利になったとき、やはり細菌戦に頼らざるを得なくなり、ふたたび石井四郎が前線に呼び戻される。
日本の敗戦が決まったとき、アメリカ軍は石井四郎らと取引をし、細菌兵器や中国人相手の人体実験のデータと引き換えに、石井四郎や七三一部隊の罪を免責し、非人道的な人体実験に関わった軍医らの戦争責任も不問とした。
私も戦後30年頃、厚生省の研究者と書籍の編集で仕事をしたとき、某大学の昆虫研究室が七三一部隊の関係者だったという噂を聞いたのだった。
