銀座の画廊を回り始めたのは1992年からだった。もう33年前になる。それまで熱心に画廊を見て歩くことはなかった。はじめはわが師山本弘の絵が銀座へ持ってきたらどのランクに評価されるのか自分で確かめたいと思ったからだ。
そのころ読んだ美術の入門書で、アートを理解できるようになるためには3つのことをするよう教えられた。
1. 美術の歴史を学ぶこと
2. 画家や彫刻家の伝記を読むこと
3. たくさんの作品を見ること
教えに従ってこれら3つのことを実践してきた。伝記を読むことに関してはそれまで特に興味のなかった駒井哲郎について、中村稔の『束の間の幻影 銅版画家駒井哲郎の生涯』 (新潮社)を読んで、駒井が好きな画家に変わった経験がある。
たくさんの作品を見ることに関しては、1992年から銀座~神田あたりを中心に熱心に画廊を回り始めた。1993年からはほぼ毎年2,000軒の画廊を回り、それは3年前にがんの手術を受けるまで30年間続けた。
ここで信原幸弘「考える脳・考えない脳」(講談社現代新書)を思い出す。信原は本書で脳は考えないという。考えるのは3つの条件の場合だけ。人と対話するとき、文章を書くとき、自問自答するときだ。例えば計算するときも紙に書くか頭の中で数字やソロバンを思い浮かべている。意識的に考えないと脳は考えないのだ。ただ反射によってデータを蓄積する。脳はデータを蓄積するのだ。たくさんの絵を見ると脳=無意識の領域にそのデータが蓄積される。おそらく無意識層において、蓄積されたデータの絵=アートが整理されてシステム化され、価値付けされたり、評価されたりしているのではないか。
毎年画廊を2,000軒、30年以上見てきた経験から、画廊に一歩立ち入れば良い展示か否かが分かってしまうと言った野見山暁治さんの言葉が深く納得できるのだ。