末木文美士『日本思想史』を読む

 末木文美士『日本思想史』(岩波新書)を読む。カバー袖の惹句に、

古代から今にいたるまで、日本人はそれぞれの課題に取り組み、生き方を模索してきた。その軌跡と膨大な集積が日本の思想史をかたちづくっているのだ。〈王権〉と〈神仏〉を二極とする構造と大きな流れとをつかみ、日本思想史の見取り図を大胆に描き出す。混迷する現代を見据え、未来のために紡がれる、唯一無二の通史。

 

 この要約が本書の特徴をよく表している。日本思想史と題する本は少なくはない。類書と何が違うのか。末木文美士の専門は仏教学と略歴にある。だから日本思想史の宗教的側面がとても詳しい。

 近代についてもはっきりと言い切っていて面白かった。

 第1次大戦後の西洋は、シュペングラー『西洋の没落』をはじめとして、西洋文明、近代文明に対する強い危機感に支配されていた。日本では、その議論を受け売りするとともに、それを乗り越えるのは日本、あるいは東洋の文化だという我田引水の言説へと展開する。京都学派の哲学者だけでなく、文学者や音楽家なども含めて開いた座談会『近代の超克』(1943)は世評に高かったものだが、今日読み返してみると、危機感に乏しい雑談に終始し、当時の思想界(と言えるだけのものがあったかどうか自体がわからないが)の限界を露呈することになった。

 

 日本国憲法について、

……よく知られた第1条は、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とあるが、「象徴」が何を意味するのかはっきりしないし、「国民の総意」はどうやって確認されるかも分からず、その説明もない。これらの天皇条項は、何とか天皇制を維持しようとして、明治憲法を慌てて作り替えたものであり、戦後憲法が押しつけというよりは、旧勢力とGHQの妥協の産物であることを如実に示している。

 

 末木には仏教史に関する著作もいくつかある。機会があったら読んでみたい。