練馬区立美術館の笠井誠一展を見る


 東京中村橋の練馬区立美術館で笠井誠一展が開かれている(11月25日まで)。
展覧会のちらしより、

 笠井誠一(1932〜)は、札幌市に生まれ、東京と名古屋を中心に活躍してきた油彩画家です。
 17歳で上京し、練馬区内に居住。都立石神井高校、阿佐ヶ谷洋画研究所夜間部に通い、1953年東京藝術大学美術学部絵画科(油画・伊藤廉教室)に入学します。絵画科卒業、専攻科修了後は同大で副手を務めた後、1959年フランス政府給費留学生に合格。パリに渡りました。パリでは国立高等美術学校(エコール・デ・ボザール)のモーリス・ブリアンション教室で学び、サロン・ドートンヌに入選、フランス政府買い上げとなるなどの活躍を見せました。
 66年の帰国後は、愛知県立芸術大学で教鞭を執る(〜1998年)と同時に東京都八王子市にアトリエを構え、東京・愛知を往復する日々が始まります。70年代後半より、現在につながる静物画を中心とした制作が固められ、また85年以降は立軌会に同人として参加しています。笠井は、楽器や日用品などのモチーフを、室内に配した静物画で知られていますが、本展では初期の風景画や人物画から始まり、現在までの笠井の画業を辿ると共に、アトリエで使用されているモチーフや資料などから、作家の緻密な構図を紐解いていきます。


《横たわる婦人像》1969年

ウクレレとかりんのある卓上静物》1999年
 笠井はちらしに使われている晩年の平面的な静物画で有名な画家だ。日常的な静物を淡々と置いたような構図で、しかし一見有機的なつながりがないように置かれたモノたちの作る不思議な構図や、テーブルの表面のシュールな傾きなど、決して素朴な写実画ではない。太い輪郭線が引かれ、装飾的な画面でもある。
 27歳でパリに渡り、以来7年間フランスで学んでいる。ナビ派の影響も感じられる。太い輪郭線はステンドグラスの影響とあったが、ビュッフェの影響も大きかったのではないか。戦後の若い絵描きたちはみなビュッフェの強い影響から免れなかったと思う。若いころの笠井に輪郭線以上のビュッフェの影響は認めがたいが、晩年の静物画はビュッフェの激しく太い輪郭線の影響の延長戦上に描かれたのではないか。一見すると激しいビュッフェの作品の底に透けて見えるニヒルな虚無的な価値ニュートラルな心情が笠井の静物画にも共通するように思うのだ。私は頓珍漢なことを言っているのだろうか。
 晩年の静物画でテーブルの上に置かれた6本のネギの小品があった。私がもし笠井の絵をもらえるのならこのネギの絵を所望しよう。
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笠井誠一展
2018年10月7日(日)−11月25日(日)
10:00−18:00、月曜日休館
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練馬区立美術館
東京都練馬区貫井1−36−16
電話03−3577−1821
https://www.neribun.or.jp/museum/