野見山暁治『みんな忘れた』を読む

 野見山暁治『みんな忘れた』(平凡社)を読む。平凡社の雑誌『こころ』に連載されたエッセイをまとめたものだろう。亡くなった22人の知人の思い出を書いている。一人当たりたった6ページの分量で。こんなに短い文章でどうしてこんなに深い感動を覚える文章が書けるのだろう?
 水上勉の章「哭く人」では交友のある水上の息子の無言館のオーナー窪島誠一郎の生い立ちに絡めて水上を書いている。水上と同棲していた女性は出産した赤ん坊を人手に渡した。窪島は成人したのち自分の父親が水上であることを突き止める。窪島の娘の結婚式に水上が招ばれ、そこで初めて孫娘に会う。その時の水上の振る舞いが野見山によって書き留められる。野見山の最後の1行が読者を深い感動に引き入れる。職場の休憩時間に読んでいたので目薬を差して胡麻化さねばならなかった。
 亡くなった知人たちに対して野見山は容赦がない。谷桃子はパリで脅迫神経症だった。そんなことを暴露しながらも全く厭味がない。加島祥造について、「それとなく擦りよって、当然のごとく女の膝にのっかる飼い猫の習性を加島祥造は身につけている。これは会得したというより、持って生まれたものだろう」と書く。加島は『求めない』がベストセラーになり、老子のタオイズムで売れっ子になったが、荒地グループの古い友人たちがとにかく女好きだと書いていた。
 加山又造の小男ぶりをちゃんと書き留め、妹と引き合わせた折りのエピソードを紹介する。

 加山又造と聞くなり、妹は、え、あのいやらしい裸を描く人と、すっとんきょうな声を出した。
 たしかにあの女体はいやらしい。画家は、いやらしく描こうとしている。ぼくにはそう見える。この画家は異性への憧れというものが、ないのではないか、これはエヘヘの挑戦なんだ。
 妹さんはたしか、田中コミマサさんの奥さんですよね、と、画家は応じた。当時、コミちゃんはストリップの女の、いやらしいことばかり書きまくっていた。へんな話になったな。

 美術評論の大御所今泉篤男も野見山にかかっては変な爺さんなってしまう。きれいな銀座の女画廊主にぞっこんだったり、どこぞの女に産ませた赤ん坊を家庭に引き入れ、手放しでのめりこんでいたり・・・。
 今泉篤男から、『四百字のデッサン』について、「君ね、絵をやめて文章を書いたらどうだね」と言われたという。そのことも正鵠を射ているだろう。すばらしいエッセイだった。文章の手本というべきだろう。



みんな忘れた: 記憶のなかの人

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