野見山暁治『最後のアトリエ日記』(生活の友社)を読む。野見山さんは2023年6月22日に亡くなった。102歳だった。本書は2020年5月(99歳)から亡くなる18日前の6月4日までのほぼ3年間の日記を収録している。日記はいずれも雑誌に連載したもので、21年間にわたって書き綴られてきた。
特に本書は野見山さんの最後の日々が綴られている。徐々に衰えていく肉体、昨日書
いたばかりの自分の文章がまとまっていないことに気づく。最後の頃は尿洩れ対策のパンツを穿き、さらに大便のコントロールも思うようにいかなくなる。しばしば粗相をする。浴槽で立ち上がれなくなる。
私も抗がん剤治療で排便のコントロールが利かなくなった経験があるが、その屈辱感を思い出した。野見山さんは徐々に衰弱していく。ああ、このように老化は進むのかと、そのシミュレーションを体験しているような気持ちだった。
その衰えていく日々を記録した本書を読むことは、野見山さんの声で語られているような印象を持った。読み終わって改めて野見山さんが亡くなったことを実感した。
初めて銀座の街角で野見山さんに声をかけたのが30年以上前になる。以来何度かお話する機会を得て、寒中見舞いは30年以上頂いていた。去年の寒中見舞が最後になった。
寒中お見舞
この世で 自分の命は掛け替えが
ないと 一途に過ごしてきたが
いつ放り出しても構わぬものと
今になって気がついた
「とうとう爺々になりました. 野見山」
21年間書き綴られた『アトリエ日記』シリーズは、画家の晩年の生活を記録した優れた日記文学であるとともに、「老い」の赤裸々な記録として貴重な資料と言えるだろう。
少しだが、印象に残ったところを引用する。
2020年6月13日
雨。家に閉じ込めるような雨。海も姫島も見えん。昨日、絵に交じって、大きな写真が1枚出てきた。
〈みつばち〉の壁を背にして、カミさんが写っている。きちんと着物を着て、静かに、笑みをうかべている。もっとも旺盛な年齢、そんなところかな。
写真の彼女と対峙しているうちに、この写真の人が哀れになってきた。ぼくは彼女の愛に応えなかった。いつも上の空だった。生涯にわたって、ただ眺めていた。
彼女に限らない。以前に亡くした妻に対しても。ぼくは自分を可愛がって彼女たちを見殺しにした。この写真、部屋には飾れない。
文中〈みつばち〉とあるのは、2度目の奥さんが経営していた博多のクラブ。彼女は銀座、大阪、博多のクラブの3大ママの一人と言われた。
2021年3月11日
夜、遅くなったが、シャワーを浴びた。
悲しい裸。以前はこんなじゃなかった、と言ってみても始まらん。
老人は欲情しますかと、パリにいたとき椎名さんに尋ねたことがある。性欲はありますと老人は答えた。しかし、それはかつての快感のイリュージョンだろうね。
どうしてこの返事だけ、いつまでも憶えているんだろう。
椎名さんとは椎名其二、野見山さんが若い頃パリで世話になった人。以前ブログに紹介したことがある。
https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/20061001/1159659302
2021年8月23日
この数日、夕方は車で海っぱたまで運んでもらって、砂浜を歩く。いくらかでも脚の力を保ちたい。命、長らえたい。今まで思いもしなかった執着。
2021年11月28日
百歳にもなると異性への関心は薄らぐでしょうと来訪者に聞かれた。問われてぼくは、この夏からずっと過ごした唐津湾ぞいのある日を思った。
薄らぐと言えば薄らぐ。以前と同じです、と言えば言える。親しい女のひとの厚意にあまえて、裸を描いた。股間のさやぎがまぶしかった。風がほのかに舞っているような。
2023年3月7日
先日、美術館でのぼくの展覧会に、中年の男が絵を持ってきた。2、3年前から絵描きに転向しました、と言う。ただ乱暴に色をくっつけた画面。現代絵画の積もりらしい。
2023年3月24日
テレビのほとんどのチャンネルが、世界一を競う野球に酔いしれている。無理もない。ぼくも昨夜から同じシーンを何度も見た。
自分の国が勝つこと。ぼくはそれが嫌いで、スポーツの実況放映を敬遠することもあるが、どこが勝ってもいい、というゲームは味気ない。
さて、校正ミスを1カ所指摘する。
2023年5月1日
今日はスズランを親しい人に贈る日。なんとなく気分が華やぐ。ぼくは街角で、ワゴン車の花屋からいくつか買ってセイネイさんのところを訪ねた。その隣の老女も優しい人だったので、忘れずに届けた。
この「セイネイさん」はおそらく「セスネイさん」の校正ミス。野見山さんはパリ時代、マドモワゼル・セスネイという老嬢に世話になっていた。入力のオペレーターにセスネイの「ス」の字が「イ」に見えてしまったのだろう。
野見山さん、本当に亡くなってしまわれたのですね。一番好きな画家だった。