黒田龍之助『世界のことばアイウエオ』を読む

 黒田龍之助『世界のことばアイウエオ』(ちくま文庫)を読む。世界の100の言葉を見開き2ページでエッセイ風にまとめている。配列はアイウエオ順で、アイスランド語から始まってアイヌ語アイルランド語と続き、ルーマニア語、レト・ロマンス語、そしてロシア語で終わっている。見開き2ページのみなので簡単な紹介ではあるのだが、著者は面白く書いている。中にはリストに選んだが何も知らないことに気づいたなどと書いたのもある。しかし、世界の言語について知るとともに読み物としても楽しめる。
 アルメニア語の項で、

……フランスの言語学者アントワーヌ・メイエによる古典的名著『史的言語学における比較の方法』(みすず書房)でもっとも感動的なのは、なんといってもアルメニア語がインド・ヨーロッパ語族であることを証明するところである。思いもよらない音の対応と厳密な分析調査。日本語とインドの言語を無理やりこじつけるようなのとは、レベルが違うのである。

 と、大野晋の日本語の起源がインドのタミル語にあるという説を揶揄している。さらにタミル語の項でも、堀井令以知の主張を紹介して大野晋を批判している。
 ヒナルク語の項で、ヒナルク語はカフカスの言語でアゼルバイジャンの小さな村で話されているという。このことを『世界のことば小事典』(大修館書店)と『言語学大辞典』(三省堂)のどちらも千野栄一が執筆している。

 記述の中に、マールという名前を見つけた。ヒナルク語はこのソビエト言語学者が関係しているようだ。千野先生の興味はここだろうか。
 マールは独特な言語論を展開し、スターリン時代に脚光を浴びた。なんでも世界のあらゆる言語が4つの基本要素であるsal, ber, jon, roshから独立したという。これだけで充分に胡散臭い。
 今ではマールの理論は間違ったものとして否定されている。ただ、マールはカフカスの言語についてもいろいろな論文を発表していて、それも間違っているかどうかは、専門外だからよくは分からない。

 マールというソビエト言語学者の名前が出てきた。この名前は田中克彦の著書ではマルと書かれていた。
 言語学者ニコライ・マルはソビエト言語学の中心人物で、言語を上部構造とした。それに対してスターリンが1950年に『マルクス主義言語学の諸問題』を発表し、言語は上部構造でも下部構造でもないと批判した。これがソビエトイデオロギー批判の端緒になったと田中克彦が『スターリン言語学「精読」』(岩波現代文庫)で書いていた。佐藤優の『国家論』(NHKブックス)にも田中克彦のこの本が引用されていた。
 黒田龍之助のこの本は最初講談社の現代新書のメールマガジンで「世界のことばアイウエオ」と題して配信された。それを『世界の言語入門』として講談社現代新書にまとめ、今回題名をメルマガに戻してちくま文庫から再刊したという。私もメールマガジン当時からファンだった。